20110101

正月の昼、急に諏訪哲史のことを思い出し
久しぶりにアサッテの人が読みたくなった。
ネットで調べると、もう文庫が出ているらしい。
同時にまだ読んだことのない新刊を
出しているということを知った。


なにかひとつでも見つかればと
自転車で、書店に向かった。
長野は田舎だが、書店は広い。
必ず見つかるものと、疑っていなかった。


結論を言うと、長い時間探したのだが
諏訪哲司は見つからなかった。
芥川賞受賞作家なのに
ただの一冊も見つからなかった。


入口の付近にはKAGEROU
特設コーナーが出来ていた。
大量の本でタワーが形作られ
水嶋ヒロが表紙のSWITCHが
その周囲に、花を添えていた。


息苦しさを感じた。


ひとつは長野という環境に対して。
書店のラインナップは編集されている。
それは何処に行こうとも同じことなのだが
あまりにも上澄みだけだった。
これが世界の全てだと信じてしまうとするならば
なんと貧しい人生だろうと思ったのだ。


本のコーナーのほとんどは
ファッション雑誌と、趣味の本であった。
自己啓発本と小説が、同程度置かれていて
そこを大きく取り囲むように、漫画が置かれている。
さらに、その外側にあるのは
レンタルビデオである。
よく見ると、さらにその外側には
レンタルの漫画が置かれていた。


もうひとつ感じた息苦しさがあった。
それは、文章という世界に対するものだ。


たとえ素敵な文章を書いて
それが、出版されたとしても
世界を変えることはないのだと実感した。


何かを伝えようと深く考察し
その上にものを作ると
難解にならざるを得ない。


(そして、ゲームにだって、たぶん同じことが言える)


人々は単純なものを求める。
一言で伝わるメッセージだ。


複雑をもとめる人間ですら
複雑を示す単純なメッセージを求める。


だから、表現に未来などはない。
そのことを、なんとなく直感的に
感じ取ってしまった。
新年から、切ない気持ちになった。


と、ここまでがひとつ目の話。

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本屋を探して
自転車でさまよっている最中
ひとつのポストを見た。


それはさして記憶に残るような
エピソードのあるポストではなかったが
通っていた中学校の校門前にあったので
毎日目にしていたものだった。


そこから多くの記憶が
呼び覚まされた。


日々、通っていた道だから
たとえばちょっとした崖だとか
塀のような細かい風景から
思い出されることが、たくさんあったのだ。


たとえば、あるひとつのエピソードが
頭をよぎった。


女の子に傘を貸して
自分はびしょ濡れで帰った日のこと。


トタンの屋根から落ちる雨だれに
手で触れたことを
まざまざと思い出したのだった。


その感触を
思い出したのだった。


俺は雨を、ここで知ったのだ。
そう思うと、少し複雑な気持ちになった。

夜を歩く

真夜中、あなたは石に触っている。
昼の間、太陽の光に暖められたそれは
ほのかに暖かい。


遠くで銃声が響く。
あなたは立ち上がり、少し立ちくらみ
固く目を閉じて再び開く。


明晰になった夜の風景を歩いていく。


ほとんど同時にあなたは
とあるブログの文章を読んでいる。
まだ序盤なので
値踏みするような気持ちでいる。


しかし、それが他の誰でもない
あなたである以上


夜の歩みを、指先の痺れを
自分のものとして
感じることができるはずだ。


「あなたは、殴られる」


もし夜のあなたが殴られたら
この文章を読むあなたは
痛みこそ感じないが
その痛みを自分のものとして
想像することができる。


その痛みから
憎しみを引き出すことができる。


あなただけが、その想像を
許されている。




あなたは服を着ていない。
足と足の隙間や、脇の下が心許ない。
周りには誰もいないのに
胸のあたりに、複数人の視線を感じる。


これからあなたは
ひとりの女と会うことになっている。


あなたは女に
まだ会ったことがない。


携帯に送られてきたメールでの
固い文章でしか、女を知らない。


そのメールは、携帯の回路の海を
見え隠れするように泳いでいた。


開発者が使っていたデバッグテキストの
表示用に組まれたソースコードを利用し
あたかもメールであるかのように偽装した
あなただけに向けたメッセージだった。


あなたはその存在に
気づかなかったかもしれない。
でも、もうひとりのあなたは気づいた。
そして少女と言葉を交わし
夜の存在を知ったのだ。


夜への入り口は、あなたのよく知る道に
ひっそりと置かれた石を握り
90度、右に回転させることで現れる。


入り口は、非現実的な様子ではない。
風景に溶け込んでいるため
普段からよく、その場所を知らない限り
不自然さを感じることはない。


あなたはそこで、服を脱ぐ。
焦る気持ちを抑え、できるだけゆっくりと
入り口を見失わないように、脱いでいく。


最後の一枚を外した瞬間
そこは、夜になっている。



あなたを、かつて愛していた人がいた。
あなたは、そのことに気づかなかった。
今は、顔すら思い出せないだろう。


でもその人は、あなたのことを
ずっと覚えている。


ときどき、あなたのことを思い出しては
今、何をしているか想像したり
あるいは、あなたの名前を
ネット検索してみたりする。


それは決して異常な行為ではない。
誰もが人しれずやっていることだ。
本来なら、誰に知られることもない。


だがgoogleは、それを見ている。


あなたを愛していた人には、兄がいる。
名をタケルといい、今はニューヨークで
バーテンダーをやって暮らしている。


あなたがこれから会う女は
名をノゾミといい、何らかの理由で
タケルを殺害しようとしている。


あなたは、手がかりである。


あなたは殺人のハブとなるべく
夜を歩いていく。

エピローグ(もしここでまとめるとしたら)

友人の日記で知ったので
インテルの、デジタルブックレットを置けるところに
ブログのまとめを公開してみた。
チンコやらマンコやらと書きまくっているので
なんか、公開審議が通らないような気がしている。


ちょっとしたエピローグもつけた。
以下がそれだ。


ーーー


祈りと愛はよく似ている。これは感覚的な実感でもなければ、理論的に
導き出された答えでもない。俺がそう言い切ってしまえる理由は単純で、
あの女と生活を共にしはじめたからだ。
あの忌々しきホテル、ヴィラコスタには二度と訪れなかった。同時にホ
テルでの神々しい体験は過去として消え去り、一緒に暮らしてみたら、女
はなんてことない普通の女だった。普通のことで悲しみ、普通のことで喜
ぶ、ただの人間だった。
そして人間と人間だから、当たり前のように意見が食い違う。たとえば
女は、俺の書いた小説がときどき気にいらない。ひとつひとつのシークエ
ンスのつながりがよくわからず、世界の全容もはっきりせず、何が事実で
何が妄想だったのかも明示されていない、そのことに苛立ちを感じるよう
だ。当然、俺は反論する。ならおまえは世界の全容を把握してるのか?
現実でできないことを、どうしてフィクションの中に求めるんだ。
これは、ただの売り言葉に買い言葉ってやつだ。俺自身ももちろん、全
ての物語が辻褄のあった、美しい作品であれば、それに越したことはない
と思っている。でも一方で、それよりも大切にしたいことがある。


あるモデルが言っていた。ポーズを決めて、完全に止まった状態でよい
写真を撮ってもらうことはできない。大切なのは、次に何かをしようとし
ている、というその状態で、自分自身を留めることだ、と。つまりポーズ
に意思を込め、その意思を捉えてもらうのだ。
物語もまた同じだと思う。
強いベクトルを持った物語は、読者の中に違和感を残す。たとえ物語
が、物語として完結していなくとも、違和感として残った何かは必ず、い
つか読者の中で完結する。
そのときをじっと、待ちつづけたいと思う。


あなたはそれを、ただの希望だというかもしれない。でもその希望を手
放してしまったら、俺はいったい何を書けばいいだろう。


ある夜、ベランダに出てタバコに火をつけようとして、ライターがない
ことに気づいた。部屋に戻り、ハンガーにかかっている服のポケットを探
り、ようやく見つけ出したライターの、オイルが切れていないことを確認
しようと、火をつけた。
そこは寝室だった。女は既に眠りについていたので、部屋は暗かった。
そしてライターの火は問題なくついたのだが、俺はその火に見入ってし
まった。
ただの火だった。透き通る青とオレンジから成る、ただの火だった。


俺は多分、祈りつづけるだろう。人に、空に、木に、そして過去や未来
に。
そして、祈りがいつかどこかに届くはずだという希望を、手放すことは
ないだろう。
俺が消え去るその日まで、手放すことはないだろう。

祈り

 ノートPCの電源が切れるまでの二時間は、この騒がしいカフェで書こうと決めていた。夕方の五時、レジ前のコーヒーはクソ不味いデカフェしか残っていなくて、俺は最悪の気分でテキストを書いては、消していた。作業はいっこうに進まなかった。
 向かいの席には美しい女が座っていて、こっちをちらちらと見ていた。俺のことを知っているのか、あるいはPCのキーを叩く音がうるさいと思っているのか、どちらにしても興味を持たれているようだったが、その表情から何を考えているのかを読み取ることは出来なかった。気が散るので、出来るだけ見ないように心がけてはいたのだが、それでもやはり美しいものには自然と目をやってしまう自分が情けない。
 女に声を掛ける自分を想像しようとしたが、いつもと同様、うまくいかなかった。どう声を掛けていいかも分からなかったし、相手がどんな反応をするかも全く想像できなかった。常日頃、美しい女に対しては尻込みしてしまうようなところがあって、おそらくそれは、相手の第一印象に欠点がないからなんだと思う。相手の欠点が見えなければ、安心できない。欠けた部分が見えてはじめて、人間として認識し、相対することが出来る。それはおそらく、俺の自分に対する自信のなさからくる感情だと思っているだが、それでも話しかけている自分を想像しようとしてしまうのは、やはり美しい女への憧れがあるからなのだと思う。あるいは、美しい女と会話をしている自分への憧れなのかもしれない。
 短編小説の〆切は二週間後で、書かなければならない枚数は五十枚、普段の俺ならば簡単にこなせる仕事だが、今回は違った。はっきり言って、気乗りがしなかった。編集の男に義理がなければ、確実に断っていただろう。
 それはかつて俺が書いた長編小説の後日談を書いてほしいという依頼だった。映画化に合わせて、後日談を収録した短編小説集を売ろうという腹なわけだが、自分の中では既に終わった物語だ。何を書けばいいのか、何を書けば蛇足にならないのかが全く分からなかった。書いては消した全てが、余計だった。俺はその長編小説を、実のところ、かなり気に入っていたのだ。
 徐々に陽が傾いてくると同時に、カフェからは客が少なくなっていった。ステンレスのデスクを鋭角の日差しが照らし、濁った輝きを見せる。俺はその風景を文章化する。小説の主人公がおれと全く同じ状況で、俺と全く同じ風景を見ているのだと一時的に仮定して、まずは書き出すことにだけ専念する。テーマもなく、書くべきことのない物語を、なんとかスタートさせてみる。偶然によってストーリーが加速するというわずかな希望を抱きながら、そうしてできた小説が価値のないものになることを、俺は知っている。何のためにも書かれていない物語は、何の価値もない。とはいえ物語とは何のために書かれるのかと訊ねられたとしても、明確な答えを出すことはできない。しかし、何かのために書かれるべきであるということだけは分かる。何かのために書いているのかもしれないと、そう思えたときにはじめて、物語は深く、価値のあるものになる。それが、俺が三十五年の人生で唯一発見した、小説に対する見解だ。
 気づいたら女はいなかったが、テーブルには女のものと思われる白いバッグだけが残されていた。不自然なほどに長い影を落としているそれは、電車の中や街中で、何度も見たことのあるようなデザインだった。革のわずかな歪みから、使い込まれていることが見て取れた。俺はバッグの中身を想像した。化粧品ポーチ、手鏡、制汗剤、それから手帳。
 いざ想像してみると、外観から見られるボリュームを埋めるだけのものが列挙することはできなかった。見えているのに、見えていないもの。俺の脳から世界を再現しようとしたときに、データ不足で黒く塗りつぶされてしまう領域。女について描くことができたとしても、女のバッグについて描くことが出来ない自分の能力の限界に思いを巡らせると、まるで自分のしていることがひどく独善的な自己満足に過ぎないのではないかという思いがよぎる。もちろん、その理屈に対して理論的な反論を組み立てることも出来るはずなのだが、理論と感情は別物だ。感情を軽い絶望が支配してしまったその時点で、もう今日は書くのをやめたほうが賢明だろうと、俺はノートPCを閉じた。
 不味い上に冷めたデカフェを飲み干そうとカップに手を掛けたそのとき、少し離れた席に座っていた黒人の男が立ち上がり、女の白いバッグに近づき、脇に抱えて店を出ようとした。俺はとっさに席を立ち、男の腕を掴んだ。掴んでから、後悔した。もしかしたら、この男は女の知り合いなのではないか。あるいは忘れものを警察に届けようと、気を利かせたのかもしれない。だが、次の瞬間に俺の手を振りほどこうとした男の力には、確実な悪意が込められていた。必死で引き返すと、革の取っ手が歪み、俺は女の顔を思い出した。直後、黒人の男はすぐにあきらめ、店から逃げ出した。ドアに取り付けられたベルが、くぐもった音を立てて、やがて静寂がざわめきに変わった。
 すぐ近くの席にいた老婦人と目があった。ほほえむ彼女に対してわずかなリアクションを返したそのとき、バッグの中からけたたましい音が鳴り響いた。携帯電話だった。どうしようかと迷ったが、老婦人が顎でバッグを指し示すので、俺はできるだけ中を見ないように手を突っ込んで、携帯を探り当てようとした。
 堅く、冷たいものが手に当たった。そのあまりになじみのない感触と共に、指先から全身に寒気が伝わってきたので、俺は思わずバッグの中を覗いた。そこには拳銃があり、その隣で携帯電話の明るい光が明滅していた。何事もなかったかのように電話を取り出した。それはやはり、持ち主からの電話だった。話を聞くと、俺と同じホテルに泊まっているのだという。


 ホテルはカフェに隣接している。俺は通りを挟んだところにあるドラッグストアでエビアンを二本仕入れ、ホテル二階にある小さなレストランバーで女と待ち合わせた。
 女はすぐにやってきた。バッグを渡すと、人なつっこい笑顔を見せてくれた。笑うと幼く見えた。よかったら一杯飲まないかと誘ってみたが、やんわり断られた。気を悪くしないでね。でも、私まだ十七歳だから(もちろん驚いた)、バーでお酒を飲むときっと、あなたに迷惑を掛けることになるでしょ?
 拳銃については聞かなかったし、そこに興味を向ける必要も感じなかった。おそらく過保護な父親が持たせている、といったところだろう。だが、ひとつ引っかかることがあった。なぜこの女は、携帯電話を鳴らしたのだろう。バッグをどこかに置いてきたことに気づいた時点で、一番気がかりなのが拳銃の存在であることに間違いはないだろう。そして携帯電話はバッグの中に、それも拳銃の隣にしまいこまれていた。電話を鳴らせば、拳銃を見られてしまう。たとえ護身用だとしても、少々やっかいなことになる。そのことに気づかないほど、思慮深くない女には見えなかった。
 エレベーターまで一緒に行き、俺が六階のボタンを押すと、彼女は最上階のボタンを押した。煙臭い喫煙ルームと、上級スイート。ため息をつきたい気分だったが、俺を缶詰にした出版社に文句を言うわけにも行かない。言葉には責任が伴う。閉じこめてくれただけでも御の字だと思うべきだった。


 次に女に会ったのは三日後のことで、小説もある程度は進んでいたのだが、それはかろうじて小説になっているといった程度の駄文に過ぎなかった。
 あのときはありがとうございます、と背後から声を掛けられたのはホテルの前、タクシー乗り場だった。いいかげん煙臭くて部屋の臭いに耐えられなくなった俺は、ルームサービスを頼んで散歩に出かけようとしていた。お茶でもどう、と誘おうとして、やっぱりやめた。
 その直後、お茶でもどうですか、と誘われた。行こうか、ちょうど聞きたいことがあったんだ、と返すと女は、拳銃のことですか? と秘密の共有するように囁く。そうじゃなくて、と携帯電話を鳴らしたことについて訊ねてみたが、そっか、そういえば私、ずいぶん馬鹿なことしたんですね、と(おそらく)はぐらかされた。
 女が指定した行き先は、あの騒がしいカフェだった。誰かと待ち合わせをしているとのことで、時計に何度も目をやりながらも、俺の書いた小説についていくつかの質問を投げかけてきた。あの小説のあの出来事は、本当にあったことなのか。どうしてあんなシーンを書こうと思ったのか。登場人物がときどき脈絡もなくエッチなことをはじめるのはどうしてなのか。
 普段ならそんな質問をされるには嫌で仕方がないし、もちろん訊ねる方にも遠慮があるので、ここまでぶしつけな質問はしない。でも今回はそれを嫌と感じなかったし、できるだけ誠実に答えようと努力した。女が美しかったから、というのも理由のひとつではあるけれど、それ以上に拳銃と携帯電話のワンシーンが、ふたりの間に、そしてこのうるさいカフェに、何か特別な空気感を運んできたンじゃないかという気がしていた。たとえば、今まで誰にも話したことのないことを、口走ったりもした。ある長編小説(今現在、後日談に悩まされているあの小説だ)は、大切な人を失ったときに書きはじめたということ。小説の中で誰かが大切な人を失うこともないし、メタファーとして出てくるわけでもない。しかし、失ったからこそ書きはじめたことは紛れもない事実だし、いつも悩まされている、何のために書くのかという疑問が、その小説を書いているときだけは頭に浮かんでこなかった。失った人のために書かれていることが明確だった。でも、それが何故かと訊ねられても、答えはないのだ、と。
 女は言った。全てに答えや理由が必要なわけじゃないって、私も思う。理由なんかなく人を好きになったりとか、理由なんかなく人を殺しちゃったりとか、そういうのが人間だと思うから。答えや理由のある物語って、結局ただの作り物に過ぎないと思うから。
 女が俺の言葉を理解しているということが、言葉のひとつひとつの重みからよく分かった。そして同時に、この感性は早熟なのか、あるいはやがて失われてしまうものなのかを、ずっと考えていた。十七の女だった経験がない俺にとって、それは不思議な時間だった。今までに話をした誰よりも、言葉の意味が損なわれない会話だったのだ。


 女が待ち合わせていたのは、さえない男だった。彼女たちが去ってしまうと、ひとり残された俺は、今の体験について考え直していた。
 もしかすると女は、俺と会話していなかったかもしれない。俺が、意味の損なわれない言葉を交わしていたと勘違いしていただけだったのかもしれない。そして、女の言葉を拡大解釈して、自分の受け取りたいように受信していただけだったのかもしれない。今、救いを必要としている自分が、無意識のうちに自分を救うべく、たまたま目の前にいた女を神に仕立てあげたのかもしれない。
 仮に、自分がこの疑いを持たなかったとしよう(そしてこの小段落は存在しなかったと仮定しよう)。するとここまでの出来事は、現在の創作に迷いを感じている自分が、都合よく女と出会ったという体験になる。このあとに交わされる女との会話もまた、自分にとって何かを指し示す光となり、その希望がこの体験の意味となるのだろう。
 体験は記憶になる。それはイメージだけではなく、言葉として記録される。言葉である以上、それは物語である。
 体験する自分とは別に、記述する自分がいる。事象そのものはどこにも記憶されることなく消えていく。そして消えてしまったものを復元することは不可能である。
 記憶が事象の復元ではなく、作られた物語であるように、小説という作られた物語もまた、記憶である。不確かなものを復元しようとする試み、という意味において、記憶と小説は同義なのだ。
 ここで俺が女の神聖に疑いを持ったことで、この物語は様相を変える。女は現実にいた女である前に、俺が恣意的に復元した記憶なのだ。だからこそ、俺は俺の恣意に抗う。


 ホテルで女が何をしていたのか、という疑問はやがて解消されることになるのだが、まずは後日談を先に記しておこうと思う。
 ホテルでの缶詰から解放された後、しばらくしてから俺宛で編集部に手紙が送られてきた。感謝の気持ちを伝える簡単な文章で、おまけのように電話番号が添えられていた。
 こちらから電話を掛けたが、女は出なかった。それからまたしばらくして、ある日の深夜、向こうから折り返し連絡があったのだった。あたりさわりのない会話が続き、でも俺は女が何かを伝えたがっているのではないかと感じていた。世間話と何度かの沈黙の後、双子の妹がいた、という話がはじまった。
 妹は一年前に命を落としている。交通事故だったようだ。
 女にとって妹は非常に大切な存在だった。楽しいことも苦しいことも、全ての経験を共有することで、姉妹は共に二人分の視点で世界に接していた。「言葉の意味を知るタイミングも、興味を持つおもちゃも、自転車に乗れるようになった日も、全部一緒だった。いま考えるとおかしいんだけど、はじめてセックスをした日も、相手も、同じだったのよ。二人が別々の時に別々の体験をすることで、結びつきみたいなものが失われちゃう気がして、怖かったんだ」
 だから、妹を失ったときに感じたのは、悲しみよりも先に困惑だった。「二本の足で立つことが生きることだとしたら、私は一本の足を失ってしまった。生きたい気持ちはもちろんあったし、周りの人もはげましてくれた。でも、どうしても片足でうまく立つことができなかった。だから私がこうなってしまったのは、意志の問題じゃなくて、能力の問題なの」それから女は、ホテルのスイートで暮らしはじめた。特に目的のないままに時間をつぶした。それが女にとって、かろうじて『片足で立つ』ということだったのだ。


 〆切の一週間前になり、編集がホテルに訪ねてきた。書きかけの原稿を見せると、ゆっくりと読んで「いいと思います」と静かに言った。この男も、後日談なんか書くべきじゃないんだと分かっているんだろう。そして、それにも関わらずときに従わなければならないのがビジネスだということも。
「ホテルは〆切日の二日後まで押さえています。もちろん家に帰って頂いてもいいですが、ゆっくりしていってもかまいません」
 おそらく〆切を延長しなければならなくなったときのことを見越して、部屋だけ押さえておいたのだろう。こんなところでゆっくりできるかよ、スイートだったらまだしも、と言うと、編集の男も苦笑いを見せた。
「そういえば、ちょっと世間話をした人が、ここのスイートに泊まってたよ」
「スイートですか。このホテルだと一泊でだいたい、二十万から百五十万円くらいしますよ」
「そんなにするのか。若い女だったぜ」
「ああ」と編集の男は、何かを思い出したように言った。「おそらくそれはコールガールだと思います。ホテル代が百万と、女性への支払いが二百万、合計で一晩三百万って話を、聞いたことがあります」
「とんでもない話だな」
「お金を使っても使っても、使い切れないって人が世の中にはいるもんなんです。でも先生だって、十分にお金をもらってるじゃないですか。僕からすればうらやましいですよ」
 話をしながら、女がコールガールである可能性について考えていた。あれだけの美しさがあれば、金のある人間は三百万円くらい払いそうな気もする。でも、そもそもコールガールっていうのはホテルに出向くんじゃないか? どうしてホテルに住んでいるんだろうか。
 その疑問はすぐに明らかになった。その日の夜、眠れずにベッドに寝転がったままテレビを見ていると、ドアの隙間からメモが差し込まれたのだ。
 フロントで聞いちゃった。もし起きてたら、遊びに来ませんか? 最上階の、右側の部屋です。そう書かれた紙には金箔で装飾が施されていた。


 ドアをノックすると、バスローブを身に纏った女が迎えてくれた。
「お客さんがワインを頼んで、結局開けないで帰っちゃったの。誰かと一緒に飲みたいなって思ったんだけど、その誰かが思いつかなくて」
 女は自分がコールガールであることを隠そうともしなかった。少しまどろんだ目をした女は、なぜだか幸福そうに見えた。
「未成年がお酒を飲んだらまずいだろ?」
「うん」
 そう言いながら女はワインの栓を抜いて、グラスになみなみと注いだ。少しだけテーブルにこぼれた。その赤い色から俺は、血を連想した。軽く乾杯をして口に運ぶと、それは確かに赤ワインなのだが、アルコールを全く感じなかった。
「フロントが、よく俺の部屋番号を教えてくれたね」
「私、お得意様だから」
「ここにずっと泊まってるのか?」
「うん」
「金がかかるだろう」
「でも、週に二回はお客さんが来るからね」
「その金でここに泊まってたら、せっかく稼いだ金が全部なくなっちまうんじゃないか?」
「なくなっちゃうよ。でも私、お金を稼ごうと思ってるわけじゃないから」
「じゃあ、何のために?」
「時間が必要なの。だから、こうしてここにいるの」
 広く、美しい部屋だった。上品な香りがした。俺はソファーに座りながらも所在なさげだったが、一方で女はそこを自分の領域として全身をゆだねていた。あまりに自然だった。まるで俺が十七の少年で、女が随分年上かのような錯覚に陥った。
「いつからここにいるんだ?」
「忘れちゃった」
「いつまでここにいるつもりなんだ?」
「いつまででも。私がいいと思うまで、ずっとここにいるんだよ。そう決めたんだ」
 女は引き出しから巻き煙草のようなものを取り出して、火を付けた。不思議な香りがした。
「でもね、ときどきすごく寂しい気持ちになったりする。世間から取り残されて、人との繋がりが何もなくなって、もしかしたらこのまま消えちゃうんじゃないかって思う。消えたら消えたでいいなって思ってはいるんだけど、実際のところ、人って消えないのよね。寝て起きたら、きちんとベッドが体の形に凹んでるんだよね」
「それで、俺を呼んだのか?」
「そう」
 はだけたバスローブからは胸の谷間が覗いていた。俺は、客と女がこの部屋で戯れているのを想像した。それは下世話な行為などではなく、むしろ天上の儀式のように思われた。そして今の俺もそうであるように、この部屋で行われる全ては、何者かに許されたことによって生まれた特別な時間なのだ。あるいは何者でもないものによって許された、特別な時間なのだ。俺にとってそれは終わりのある有限の時間で、女にとってそれは終わりのない永遠だった。
 後にこの体験を言葉で記録したとしても、時間の持つ空気を復元することは不可能だろうと思った。でも確かにそういった時間が存在していたことを、思い出すことはできるだろうと思った。それでも俺の体験している有限と、女の永遠には大きな隔たりがあり、自分は女の側に絶対にたどり着けないだろう。それを残念だと感じると同時に、女の側にあるものが『価値』なのかと問われると、よく分からないのだった。
 女はワインを飲み干して、再び注いだ。なぜかもったいないとは思わなかった。俺が飲んでいるワインの方が、よっぽどもったいないような気がした。
「煙草を置いてきちゃったんだ。ねえ、もしよかったら一本もらえないかな」
「いいけど、これ、煙草じゃないんだ。二本の法律からするとちょっぴりヤバいものだけど、それでもいい?」


「祈ってるんだ」
「祈ってる?」
「うん、祈ってるの。ここでこうして暮らしながら、ずっと祈ってるの。これはね、祈るための時間なの」
「何か叶えたい願いごとでもあるのか?」
「違うよ。祈ることと願うことは違う。私はね、願ってるわけじゃない。ただ、祈ってるの。人はね、ときに願わずに祈るのよ」
「願いと祈りの違いって、何なんだ?」
「私にとっての祈りは、願っても仕方のないことへの願い。戦火に逃げまどう人が平和を願うとき、きっと戦火の現況となっている人も平和を祈ってはいる」
「もう少し、具体的に話してくれないか?」
「普通は未来のために祈りを捧げるでしょう? 世の中から戦争がなくなりますように。世界中の人が、幸せになりますように。でもね、私は違う。過去のために祈りを捧げているの。世界中の人が、幸せでありましたように、って」
「幸せ?」
「いま幸せって言ったのは、単なるたとえ話。実際には違って……もう起こってしまった不幸が、起こらなかったようにって、祈ってるんだ」
「それ、意味ないんじゃないか? 過去は変えられないだろう?」
「うん。直接的な意味は全然ない。だから、もしかすると私はすごく馬鹿なのかもしれない。でもね、ちょっとだけ思ってることがあるんだ」
「それは?」
「過去に向かって祈ることが、もしかしたら未来を変えるんじゃないかって」
「物語を書くことが、未来を変えるように?」
「うん。あなたが、そう信じていたいように」


 そう、俺は過去の幸せを祈っていた。


 失った大切な人が、幸せでありましたように。その祈りを物語に変えた。捏造ではなく、真実なんだという確かな感触を手放さないようにしながら、流れ消え去った事象を、完全に再現しようとしながら、同時に過去の幸せを祈っていたのだ。
 そうして生まれた物語が未来を変えるとするならば、それは過去の改編に他ならない。しかし、俺はそれを改編だとは思っていない。祈りなのだ。とにかく純粋で、とにかく真摯な、祈りなのだ。
「そんなに難しく考えることじゃないって分かってる。きっとあの人も幸せだったわよ、うんうん、とか、あの人もきっとあなたに感謝してるわ、うんうん、とか、そういった言葉で納得してしまえばよかったんだ。でも、私はそこまで自己中心的に考えられなかった。だからこそ、祈るの。できるだけ真摯に、祈りつづけるの」
 そう言いながら女は、拳銃を取り出す。その銃口を口にくわえると、安全装置を外して引き金に指をかける。ゆっくりと、指に力を込める。目を閉じたその表情は恍惚としている。まるで何かに同化しようとするかのごとく、体を空へと引き寄せる。幸せでありましたように。幸せでありましたように。何度も何度もつぶやきながら俺は、肌に感じる死の感触を、あいつのすぐ傍らにあった死と同化させ、そしてあいつの目を通して、恐ろしいほどに綺麗な世界を見る。
 やがて、天から啓示の光が降りそそぐ。

ガラパゴス(笑)

ニュースでガラパゴスって言葉を聞いたら
それはものすごい褒め言葉なんだと
脳内で置き換えることにした。


そして俺は、俺の脳内に
ガラパゴスな領域を作ろうと思う。



脳内は少しだけ未来
俺は疾走MW2を作っている。


今夏に発売されたゲームが
俺の業界内での評価を決定的なものにし
好きにゲームを作れる自由が与えられたのだ。


プロトタイプを見ながら、俺たちは可能性に身を震わせている。
ビビッドな色が後ろに過ぎ去っていく様が
モダンアートのように見え、あまりに美しいのだ。


ピクセルごとに取得した彩度の高い部分にのみ
ブラーをかけるという単純な処理が
夢のような風景を見せてくれる。


全てのサウンドが脳内麻薬を発生させる。
ファーストステージのBGMはグラハム・フィットキンにしようと
俺は、心に決める。


3D配置されたBGMが、徐々に移り変わってゆく。
気分が最高潮に達したとき
俺は特大ジャンプを決める。


そこでは、誰もが特大ジャンプを決められる。


これはゲームではない。
触感のあるムービートラックなのだ。



27歳
確かな知識と今以上の実績を手に入れること
ミドルウェアに精通すること


29歳
自分発のプロジェクトを立ち上げること


32歳
2本目、ガラパゴスと現実のドッキング
自身の社会的出世作であり
スターピースとなるプロジェクトを
立ち上げること


35歳
AAAタイトルを狙って立ち上げること


38歳
AAAタイトル?
フランチャイズ展開すること
仲間たちに道を作ること


41歳
AAAタイトル?


44歳
自分の城のアドバイザーや
新規立ち上げのサポートを積極的にしつつ
自分は、小規模でアーティスティックな作品を(ようやく)作ること
2年で1本、最低3本。
人生設計が2年遅れるごとに
ここで作れる作品が(悲しいことに)少なくなる


50歳
開発を統括するマネジメントに専念すること


55歳
5年で自由に動ける立場になること


60歳
5年で組織を作り変えること


65歳
5年で世界一の実績を作り
きっちりと退職すること
孫をかわいがること
田舎で暮らしながら
文筆と作曲に励むこと

              • -

sshimoda

ちょっと不思議なできごと。


これからここに書くことは100%真実だ。
いつものような創作じゃない。
だから、それほど不思議には感じないかもしれない。


でも、自分にとっては(あくまで主観ではということだけれど)
とても不思議な出来事だったし
さらにいえば、とてもうれしい出来事だった。


この文章のうち八割は
1Q84についての話になると思う。
BOOK3を、さきほど読み終えたばかりだ。


これから書くことの概略を、簡単にまとめると、こうなる。


個々の物語に、存在する「意味」があり
その「意味」は物語の「存在」に影響を与える。
神話が、そうであるように。

    • -


1Q84のBOOK1と2を僕が読んだのは
金曜の深夜、会社のブース下でのことだった。
仕事を終わらせてから読みはじめ
結局明け方までかかって、読み切ったのだった。


すべて読み終えたあと、リーダーと青豆が語るシーンを
何度も何度も、読み返した。
あれは、この小説のクライマックスだった。
(BOOK3は、長い後日談に過ぎなかった)
気づいたら、時間は正午を回っていて
僕はようやく、ブースの下を抜け出したのだった。


僕は仕事としてゲームを作っているのだけれど
そのとき作っていたゲームを
僕は、ある程度自由に改編することができる立場にあった。
特にストーリーは、ほとんど自分一人で変更することができた。


キャラクターの台詞が音声だと、スケジュールの都合上
もう出来上がっているゲームのシナリオを変更するのは難しい。
でも、そのとき作っていたゲームは
台詞を、昔ながらのウィンドウ表示していたため
調整はいくらでもきいた。


僕は熱病に冒されたように、物語を書き換えた。
既にあるプロットに、物語としての軸を加えていった。


軸とは何か。

    • -


1Q84は、ひとつの神話を提示するための
殻みたいな物語であった、とおもう。
神話とは「空気さなぎ」であり
それを伝えるために、最も有用な手段が
物語の中に、物語をくるむことだったのではないだろうか。


「空気さなぎ」の物語の、どこに
伝える価値があるのかは、よく分からない。
でも、それは神話になりうる物語だ。
もしかすると、神話になりうることが価値なのかもしれない。


だから、おそらく1Q84という小説にとって
登場人物たちは、道具に過ぎなかった。
1Q84という小説の存在意義は、すでにBOOK2で果たされている。
BOOK3は明らかに、登場人物のために書かれている。
彼が、彼女が、幸せな結末に至る。
それだけのために。

    • -


1Q84を読んでから、僕が作り出したはずの世界に
神話として「空気さなぎ」が根づいてしまったのは
仕方のないことだったと思っている。


もちろん、直接的な繋がりはゼロだ。
固有名詞はもちろん、1Q84を思わせるファクターすら
ほとんど、存在しない。


唯一の繋がりは、It's only a papermoonの具体的な歌詞を
1Q84への、ちょっとしたオマージュのつもりで
章のサブタイトルに組み込んだくらいだ。


でも、僕の世界は強力な神話に引き寄せられた。
外からはわかるまい。
でも僕自身には分かる。
神話の強力な力に、あらがえなかったのだ。

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自分が、そのゲームを作っていたそのとき
空には月が2つ浮かんでいた。
これは比喩じゃなく、真実だ。


もしかすると、そのときの自分が精神的に
少しおかしかったのかもしれない。
もしかすると、都合よく記憶をねじ曲げているだけかもしれない。


でも、それは真実だ。
すべてが、真実になるのなら。

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さて、ゲームの開発が終わったのは
BOOK1と2の発売と、3の発売の間のことだ。
(そのゲームのタイトルであるとか、具体的な話は
 とりあえず、しないでおく)


僕は既に、別のゲームの開発に携わっていて
そのチームは、とてもよいチームだ。
毎日を楽しく過ごしている。


冒頭で僕は「不思議な出来事」と書いた。
それがなにかというと
今日読んだBOOK3のラストシーンが
自分の作ったゲームのラストシーンと
とてもよく似ていた、ということだ。

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これはただの事実であって
そこに教訓があるわけでもなければ
神話的な意味があるわけでもない。


ただ、可能性としては


ドウタ、マザ、パシヴァ、レシヴァという言葉
空気さなぎ、ふたつの月、そしてリトルピープル。


あの世界が、多数の人の心の中に届き
そしてさざ波を起こし
何らかの形で外に出てきたとき
さざ波とさざ波が同調し
やがて、洪水へと発展するかもしれない。


それを見てみたい。
僕は、思う。
善きにせよ、悪しきにせよ。

ヴィラコスタ2101 -killer-

最近、ヴィラコスタでの依頼が多すぎる。
同じとこで何度も殺しをやるってのは
やべぇなと思っちゃいるんだが
断れない依頼人からしょうがない。


2101号室の女は協力者で
必要な刃物や、緊急用の銃は
そこに置かせてもらっている。
多分ボスの女なんだと思うが
抜群のプロポーションを持ってやがる。


こういう女を見ると、無性にレイプしたくなる。
これはもう性癖だからどうしようもねぇことなんだが
妄想の中で、何度犯したかわからない。


性欲ってのは食欲や睡眠欲と並ぶ三大欲求だ。
自分の性癖について他人に話すと
犯される側の迷惑は考えないのか、とよく聞かれる。
だが、考えて欲しい。
お前は今から眠っちゃならない。
眠ったら友人をひとり殺す、と言われて
絶対に寝ない自信があるか?


ーーー


だからあんたみたいな人間は、死ぬべきなのよ。
人権なんて考え方が、全てを歪めているの。
イレギュラーだから排除されてしかるべき。
この考え方は間違ってる?


女が言う。
標的がホテルに戻ってくるまでに、まだ時間があったので
部屋で待機させてもらってる最中のことだ。


いいや違うね、と俺は言う。
探せば俺くらいに異常な奴なんて、山のようにいる。
同時に、レイプされたくてたまんねぇ女も
同じくらいいるはずだ。
誰かを殺してぇ奴と同じだけ
死にたくてたまんねぇ奴もいる。
そういう人間が集まりゃ、何の問題もねぇってわけだ。
だが集まらない。それは何故か。
くだらねぇ経済と、クソみてぇな社会のせいだ。
そういうめんどくせぇなんやかやのせいで
住む場所は制限され、発言も制限され
俺みたいな少数派が弾劾される。


汚いものを見るような視線を向ける女に
俺は言葉をぶつける。
いいか、俺は異常なわけじゃねぇ。
ただ少数派なだけさ。
なあ、あんただって少数派だろ?
だけど、いいパートナーに出会えた。たまたまな。
運がよかっただけだ。


私だって… と女は言いよどむ。


ーーー


これは俺の論ってわけじゃねぇ。
師匠の受け売りだ。


殺しの仕事はコネクションを繋げるのに最も有用だ。
依頼人は重要人物ばかりだし
依頼を受けている時点で、弱みを握っているも同然だからだ。
師匠くらいに頭がいいと、コネクションを生かして
もうひとつビジネスを立ち上げるくらい簡単な話ってわけだ。


師匠はネットワーク上に、自分の理論に基づくユートピアを作り上げた。
ポマード.netという名のそのサイトが提供するサービスは
至って簡単なシステムで成り立っている。


1 ログインしたユーザーには、欲望送信用のメールアドレスが発行され
る。
2 ユーザーは何か欲望を感じるたびに、そのアドレスに対してメッセージ
を送る。
3 欲望は集計され、やがて結果を元に、20人から成るグループが形
成される。


欲望ってのは例えば
・抱きしめられたい
・今すぐヤりたい
・人をブン殴りたい
・全裸で侮辱されながら痛めつけられたい
・多人数に犯されたい
・みんなでひとりを回したい
・誰でもいいから殺してみたい
・今すぐ死にたい


で、嘘みたいな話なんだが
需要と供給の関係はピタリと一致した。
みんな大枚叩いて、この歪んだ出会いサイトを利用した。


ーーー


2101号室の女も、もしかしたら
ポマード.netの客かもしれない。
っつーか、このホテルに泊まってるような成金たちのなかに
ポマード.netを利用してないやつなんか、いるんだろうか。


忘れちゃなんねぇのは
何かを歪ませることでしか
何かは生まれねぇってことだ。


何かが生まれつづけているってことは
何かが歪みつづけているってことだ。


俺は、これ以上歪められる側でいるのは
まっぴらごめんだ。
思いっきり、歪みを伸ばさせてもらう。
それで他の誰かの何かが歪むんなら
そいつは何かを得てきたか
あるいは、とことん運が悪かったってことになるんだろう。