ちょっと不思議なできごと。
これからここに書くことは100%真実だ。
いつものような創作じゃない。
だから、それほど不思議には感じないかもしれない。
でも、自分にとっては(あくまで主観ではということだけれど)
とても不思議な出来事だったし
さらにいえば、とてもうれしい出来事だった。
この文章のうち八割は
1Q84についての話になると思う。
BOOK3を、さきほど読み終えたばかりだ。
これから書くことの概略を、簡単にまとめると、こうなる。
個々の物語に、存在する「意味」があり
その「意味」は物語の「存在」に影響を与える。
神話が、そうであるように。
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1Q84のBOOK1と2を僕が読んだのは
金曜の深夜、会社のブース下でのことだった。
仕事を終わらせてから読みはじめ
結局明け方までかかって、読み切ったのだった。
すべて読み終えたあと、リーダーと青豆が語るシーンを
何度も何度も、読み返した。
あれは、この小説のクライマックスだった。
(BOOK3は、長い後日談に過ぎなかった)
気づいたら、時間は正午を回っていて
僕はようやく、ブースの下を抜け出したのだった。
僕は仕事としてゲームを作っているのだけれど
そのとき作っていたゲームを
僕は、ある程度自由に改編することができる立場にあった。
特にストーリーは、ほとんど自分一人で変更することができた。
キャラクターの台詞が音声だと、スケジュールの都合上
もう出来上がっているゲームのシナリオを変更するのは難しい。
でも、そのとき作っていたゲームは
台詞を、昔ながらのウィンドウ表示していたため
調整はいくらでもきいた。
僕は熱病に冒されたように、物語を書き換えた。
既にあるプロットに、物語としての軸を加えていった。
軸とは何か。
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1Q84は、ひとつの神話を提示するための
殻みたいな物語であった、とおもう。
神話とは「空気さなぎ」であり
それを伝えるために、最も有用な手段が
物語の中に、物語をくるむことだったのではないだろうか。
「空気さなぎ」の物語の、どこに
伝える価値があるのかは、よく分からない。
でも、それは神話になりうる物語だ。
もしかすると、神話になりうることが価値なのかもしれない。
だから、おそらく1Q84という小説にとって
登場人物たちは、道具に過ぎなかった。
1Q84という小説の存在意義は、すでにBOOK2で果たされている。
BOOK3は明らかに、登場人物のために書かれている。
彼が、彼女が、幸せな結末に至る。
それだけのために。
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1Q84を読んでから、僕が作り出したはずの世界に
神話として「空気さなぎ」が根づいてしまったのは
仕方のないことだったと思っている。
もちろん、直接的な繋がりはゼロだ。
固有名詞はもちろん、1Q84を思わせるファクターすら
ほとんど、存在しない。
唯一の繋がりは、It's only a papermoonの具体的な歌詞を
1Q84への、ちょっとしたオマージュのつもりで
章のサブタイトルに組み込んだくらいだ。
でも、僕の世界は強力な神話に引き寄せられた。
外からはわかるまい。
でも僕自身には分かる。
神話の強力な力に、あらがえなかったのだ。
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自分が、そのゲームを作っていたそのとき
空には月が2つ浮かんでいた。
これは比喩じゃなく、真実だ。
もしかすると、そのときの自分が精神的に
少しおかしかったのかもしれない。
もしかすると、都合よく記憶をねじ曲げているだけかもしれない。
でも、それは真実だ。
すべてが、真実になるのなら。
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さて、ゲームの開発が終わったのは
BOOK1と2の発売と、3の発売の間のことだ。
(そのゲームのタイトルであるとか、具体的な話は
とりあえず、しないでおく)
僕は既に、別のゲームの開発に携わっていて
そのチームは、とてもよいチームだ。
毎日を楽しく過ごしている。
冒頭で僕は「不思議な出来事」と書いた。
それがなにかというと
今日読んだBOOK3のラストシーンが
自分の作ったゲームのラストシーンと
とてもよく似ていた、ということだ。
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これはただの事実であって
そこに教訓があるわけでもなければ
神話的な意味があるわけでもない。
ただ、可能性としては
ドウタ、マザ、パシヴァ、レシヴァという言葉
空気さなぎ、ふたつの月、そしてリトルピープル。
あの世界が、多数の人の心の中に届き
そしてさざ波を起こし
何らかの形で外に出てきたとき
さざ波とさざ波が同調し
やがて、洪水へと発展するかもしれない。
それを見てみたい。
僕は、思う。
善きにせよ、悪しきにせよ。