サユミの話(あるいは原発の是非について)

 スナフキンによる殺人は世間をひどく混乱させていた。その猟奇性や謎めいた殺害予告はマスコミの格好の餌食となり、やがて全ての事件がスナフキンと関連づけて語られるようになった。そもそも殺人事件というのは日常的に起こっているものだが、それらがスナフキンという一本の糸で結びつけられて報道されることで、日本は終わってしまうのではないかという社会的空気が生み出され、3月の大量殺人を予告するインターネット上の書き込みが発見されると、首都圏の企業のほどんどが、社員に一週間の自宅待機を命じた。
 デザイン会社に勤める山岡もまた、会社が休みになったその日を、どう過ごそうか決めかねているひとりだった。テレビは全ての番組がスナフキンの報道をしていたし、インターネット上にも、スナフキンのことについて語る意見が溢れていた。組織的な犯罪なのではないか、とある宗教組織が関わっているのではないか、外国のテロ組織が指揮しているのではないか、化学薬品によるテロの前触れなのではないかなど、荒唐無稽の噂ばかりで、とはいえそのような情報に囲まれていると全てが本当のようにも思えてくる。会社に勤めている外国人たちは、一週間ほど前から次々と帰国していた。そのときは噂に流されすぎなのではないかと笑っていた山岡だったが、今になると、自分も地元に帰ってしまえばよかったかもしれないと考えているのだった。
 しばらくすればマスコミの報道も落ち着き、あるいはスナフキンが警察によって捕らえられ、この騒がしい状況も落ち着くだろう。日常が戻ってきて、普通に出社し、退社し、飯を食べ、夜になったら眠るという生活を送ることになるのだろう。しかし――山岡は考える――それは果たして日常と呼べるのだろうか。何か圧倒的に変わらない基盤のようなものがあって、その上に成り立っていた日常というものが、一度基盤が揺らいだあと、戻ってくることなどありうるのだろうか。視座が非日常に置かれてしまった今となっては、日常を想像するほうが難しいのだった。スナフキンに怯えず、外を歩くことが出来るとは、いったいどのようなことなのだろう。
 家にいると鬱々とした思考が巡ってしまう。たぶん、情報が限られているからだろう。普通に出社していた先週は、家に帰ってから夜にかけて取り入れた情報に混乱させられても、次の日の朝、太陽の光を浴びることで、混乱のほとんどが解消していたのだ。確かに道をゆく人の人数は圧倒的に少なかったし、コンビニでは非常食になるような食品がほぼ売り切れていたが、それでも太陽に照らされる街並みが与えてくれる安心感には圧倒的なものがあった。たとえどんな基盤が揺らごうとも、太陽の光は、決して揺らぐことのないものなのだ。
 だからとにかく、太陽の光を浴びたかった。特に目的はなかったが外に出ようと思ったのには、そういった理由があった。山岡は財布だけを手に持って、コンビニに立ち寄って雑誌を買い、駅前の喫茶店に足を運んだ。


 その喫茶店はチェーン店のドーナッツストアの上にある昔ながらの店で、店内は狭く、全ての席で喫煙が許されていた。コーヒーは決して安くない値段だったが、いつまで居ても文句を言われることがなかったので、山岡は休日の午後によく利用していた。月曜日に進めなくてはならないデザインのアイディアが浮かばないときなどは、手帳とペンだけを持ってそこへ赴き、落書きをしながらタバコを吸い、コーヒーを飲んだ。山岡はコーヒーが好きだったし、その店のコーヒーはとても口にあった。もちろん、家で好みに合わせた豆の挽き具合で淹れたものにはかなわなかったが、コーヒーを淹れたあとの片づけのことを考えると、何も考えず楽に飲めるぶん、コーヒーも美味しく感じるのだった。欲しいときに一声かけるだけで、おかわりを持ってきてくれるのも、とてもありがたかった。
 店は混んでいた。山岡と同じようなことを考えている人が多いのかもしれない。スーツ姿の会社員や、ウールのジャケットを着た老人の二人組、文庫本を読む女性などがひしめきあっていた。カップルはいない。デートコースに使うにしては少々マニアックな店なのだ。
 テーブル席に案内された山岡は、持ってきた雑誌を読みながらコーヒーを待った。やはりスナフキンの記事が多かった。一部のコラムには、日本人は少しパニックになり過ぎなのではないかという意見が書かれていて、山岡は自分は果たしてパニックになっているのだろうかと考える。極端に家に閉じこもっているわけでもなければ、店で買い占め行動を起こしているわけでもないが、間違いなく精神的には揺さぶられている。おそらく、この記事を書いている人も同じなのだろう。そうでなければ、わざわざスナフキンのことを書かず、いつものように本や音楽、政治の話を書けばよいのだ。でも、たとえ事件と関係のないことを書いたとしても、今ではそこに、ある種のポーズが備わってしまう。スナフキンの話などではなく、今こそ日常的な話をすべきなのだというポーズが。そのように考えると、社会的に大きな事件が起こるということは、誰もがそこから逃れられずに捕らわれてしまうということなのだ。事件に対する自分の姿勢を決めかねている山岡も、同じだった。あくまで基盤は社会の側にあって、山岡の中にはない。
 そのようなことを考えながら、雑誌に見入っていた山岡は、店員から声をかけられたとき、自分が話しかけられているのだと気づかなかった。
「お客様」
 目の前に手を差し出され、少し驚いて店員の方を見ると、申し訳なさそうな顔をしていた。
「すいません、席が混雑しておりますので、ご相席よろしいでしょうか」
「あ、はい」
 気の抜けた返事をしてから入口の方を見ると、白いコートを着たショートカットの若い女性が立っていた。休日の午後によく見る女性だった。巨大なバッグを抱えている(いったい何が入っているのだろう)。
 店員に案内された女性は、山岡の方に小さく一礼すると、遠慮がちに席に座った。店員がオーダーをとり、女性はカフェラテを頼んだ。店員が去ったあと、女性はバッグをどこに置こうか考えあぐねているようで、膝の上に抱えていた。
 気を使わせてしまうのも、なんだか申し訳ない気がしたので、山岡は声をかけてみることにした。
「よく来られてますよね」
 話しかけられるとは思っていなかったのだろう。女性は少し驚いたように身をこわばらせた。
「あ、はい」
 悪いことをしてしまったかな、と思った山岡は、コーヒーを一口飲んで、雑誌に目を落とした。数ページめくってみたのだが、一度距離を取りあぐねてしまった同じ席の女性を、どのように意識していいのかが分からず、そのことばかりを考えてしまう。より友好的に話しかけてみるべきか、あるいは今の一言は相席する上での、礼儀としての挨拶と位置づけ、自分ひとりの時間を過ごすことにするべきか。自分の姿勢をうまく定められず、それは先程まで考えていたスナフキンに対する姿勢を定められない自分という問題と相まって、山岡の気持ちを小さく揺さぶる。
 そんな落ち着かない山岡の気持ちを汲み取ったのか、しばらくして女性が話しかけてきた。
「あの……よく来られてますよね」
 山岡が顔を上げて、その言葉に対して返事をする前に、店員がオーダーのカフェラテを持ってきた。
「おまたせしました」
 テーブルに静かに置くと、去ってゆく。投げかけられた疑問はテーブルの上に留まり、女性はその答えを待っているのか、カフェラテに手をつけなかった。山岡は雑誌を閉じて答える。
「いつもは休日に来るんですけど、会社が休みになってしまって」
スナフキンですか?」
「そうですね。何も休みにすることはないと思うんだけど、会社が都心だから仕方ないんですかね」
「でも、不安じゃないですか?」
 女性はそう尋ねて、カフェラテを手に取る。その行為を見て、山岡はとても安心する。これは一時的な会話ではなく、女性は自分とある程度距離を詰めることを了承してくれているのかもしれない。
 山岡は閉じた雑誌をテーブルの上に置いて答える。「家にいると不安になるんですよね。テレビをつけても、その情報しか入ってこないから」
「それ分かります」女性は笑顔を浮かべる。「ほら、特に民放は不安を煽るような言い方をするから、外を出歩くなんてとんでもないって言われてるような気がしてきちゃって」
「でも、部屋に閉じこもっていると、どんどん不安になりますよね」
「そうなんです。だから、お茶でもしようかなって思って、ここに来てみたんですよ」
 目の前の人間が自分と同じ感情を抱いていたことを知り、山岡は安心する。気持ちを揺さぶられているのは自分だけではなかったのだということを確認できただけでも、声をかけてみてよかったと思った。
「やっぱり、仕事休みになったんですか?」山岡は尋ねる。女性をどう呼んでいいのかが分からないので、どことなく曖昧な表現になってしまう。
「いえ、実は今回の件とは関係なくて、しばらく仕事休んでるんですよ」
「そうなんですか」言いながら山岡は、それ以上突っ込んで聞いていい話題なのかどうかが分からない。
 そんな山岡の気持ちを汲み取ったのか、女性は言う。「ちょっと、心の病、みたいな感じで」
「大変ですね」そう言ってから、あまりに無責任な言葉だったかもしれないと不安になったのだが、女性は笑いながら受け答えてくれた。
「大変なんですよ。自分でもびっくりしてます。まさか病気になるなんて思ってもいなかったから」
 面と向かって話をしている限り、不安定な様子は見られなかった。山岡の会社にも、うつ病で会社を休んでしまう人はいる。そういった人たちの病状は、話をすればなんとなく感じとることができる。病状が悪ければ、会話をしながら相手の心が揺れ動いているのを如実に感じ取ることができるし、しばらく休むことで治癒してくれば、心情が定まってきたこともはっきりと分かる。風邪をひいた人と話をしていると、そのことを感じ取れるように、心の病もまた目に見えるのだ。
「でも、元気そうに見えますね」山岡は言う。
「元気なんですよ。自分でもそう思っているんですけど……でも、こういうのって自覚だけで判断すると大変なことになるって言われたから」
「確かに、そうかもしれませんね。でも休みを取らしてくれるなら、素敵な職場じゃないですか」
「そうでもないんじゃないかな」女性は冷静に答える。「会社のシステムとしては素敵かもしれないけど、実際、一緒に仕事をしていた人たちがどう思ってるかは、わからないでしょう?」
「きっと良くなってほしいと思ってますよ。他人って案外、優しいものですよ」
「それは教訓?」女性は山岡の目を見る。
「ごめん、偉ぶるつもりはなかったんだけど。どちらかというと実感かな」
「素敵な職場なんですね」
 女性に言われ、山岡は自分の職場のことを考える。「確かに、恵まれてるのかもしれません」
 山岡がコーヒーを飲むと、女性もカフェラテを一口飲む。何かを言おうかと考えているようだったが、すぐに言葉は出てこない。山岡はそれを待つべきか、再び雑誌を開くべきか考えあぐねている。女性は短い髪を右手で弄り、何度か瞬きすると、再び山岡の方を見て話しはじめる。
「ちょっとしたアンケートがあるんです」
「アンケート?」山岡は尋ねる。
「って言っても、紙に書くとかそういうんじゃないんですけど」
「いいですよ。何ですか?」
「あの、原子力発電所についてどう思いますか?」女性は、少し言いにくそうに言葉を発した。
原子力発電所?」山岡は思わず尋ね返す。
「はい。凍結すべきだとか、安全なら運転すべきだとか。ほら、ちょっと前にニュースになったじゃないですか」
 山岡は少し不安になる。この女性は、なんらかの社会活動をしているのだろうか。このあと署名や、最悪の場合、募金などを求められたりするのかもしれない。
 原子力発電所についてニュースになったのは記憶に新しい。しばらく前に大きめの地震が起こり、停止すべき発電所が停止しなかった。その事件をきっかけに、耐用年数を超えて運営されている発電所がマスコミによって次々とリストアップされた。今すぐ止めるべきだという意見と、一方で増え続ける電力需要との折り合いが付かず、一部の人たちの間では熱の高い話題として、未だに語られ続けているらしい。
 山岡の場合、近くに原子力発電所があるわけでもなく、はっきり言って当事者意識は薄かった。考えるべき問題なのかもしれないが、それ以上に差し迫った現実的な問題がたくさんあり、しっかり意識してなどいなかった。
「申し訳ないんだけど、あんまり考えたことがないんです」山岡は正直に伝える。
「私もです」女性が言う。
 山岡はその返答のあとに、でも、という接続詞が続くのだろうと想像する。しかし女性は言葉を続けなかった。
「え?」思わず声に出して言ってしまう。
「あ、ごめんなさい。別に私自身の主張を訴えたいとか、そういうんじゃないんです。ちょっとしたアンケートなんです」女性は言う。
「それは、個人的な?」
「はい、個人的な」
「差し支えなかったら聞きたいんだけど、それってどういう意図があるアンケートなんですか?」
「普通の人は意見を持ってるものなんだろうかって、そのことが知りたいんです。意外にみんな、訊いてみると自分の主張を持ってたりするんですよ。私は持ってないから、それって普通なんだろうかって、ちょっと気になってるんです」
「たぶんですけど、それは聞かれたから意見を言ってるだけなんじゃないですか?」山岡はそう言って、コーヒーを一口飲む。
「そうかもしれないですね。でも、私にはそれができないんです」
「もしそれが不安なら、意見を持っちゃえばいいんじゃないですか? たとえば、直感でかまわないので、発電所のこと、どう思います?」
「やっぱり、恐いですよね」女性は言いながら、何か別のことを考えているように見える。
「じゃあ、それをあなたの意見にしちゃえばいいんですよ」
「でも、こんな話があるんです」女性は山岡の提案には答えず、別の話をはじめる。「耐用年数を超えた発電所は危険だけど、それが取り壊されないのって、原発反対派の人が、新しい発電所を建てることに反対しつづけてるかららしいです。もちろんその人たちの望みは、今の原発が止められて、新しい原発も建設されないことなんでしょうけど、そうなったらどこかで電力需要を満たさなきゃならない。そうすると犠牲になる場所が出てくる。電力需要を減らしたら減らしたで、景気に悪影響を及ぼして、就職できない人たちが増えたりとかするわけですよね。でも私自身が原発の近くに住むことになったら、それはそれで嫌です。子どもができたりしたらなおさら、そう思うと思うんです。そういったことを考えてると、意見を持てなくなっちゃいませんか?」
「真面目なんですね」山岡が言うと、女性は笑いながら答える。
「そうなんです。難しく考えすぎるところは、よく煙たがられちゃうんです。もっと簡単に物事を考えれば、うまくいくんですかね」
「うまくいくとは思うけど」山岡は言う。「でもきっと、一度難しく考えちゃうと、簡単に考え直すことって、きっとできないんですよね」
 女性は手に持ったコーヒーカップの中を見つめながら言う。「それが、ちょっとした悩みなんです」


 家に帰ってからもやることのない山岡は、原子力発電所のことばかりを考えてしまう。インターネットで原発のことを調べると、現状のひどい運営方法などを文献で読むことができ、その惨状に憂う気持ちを抱える。だが、それ以上に深く調べてみると、文献そのものが捏造であるという記述にも行き当たる。何が真実で、何が間違いなのかも分からなくなり、自分の頭で考えようと努力するのだが、何かを立てれば何かが犠牲になるというふうに思考がループする。結果的に行きついたのは、この問題には答えがないのではないかという結論だった。
 しばらくして、女性の原発についての話は、何かのレトリックだったのではないかというところに考えが至る。たとえば心の病と会社についてのレトリックだったかもしれない。あるいは、スナフキンと社会に対するレトリックだったかもしれない。そのように考えると、世の中には答えの出ない問いというのが渦巻いているのかもしれない。だからこそたくさんの意見が渦巻いているのだろうけれど、そんな社会の中で自分の立ち位置を決めるということが果たして可能なのだろうかと疑問を持つ。
 もしそれが(すなわち正義を主張することが)不可能だとするならば、はっきりとした日常という基盤を持ち、その上で生活を続けること以外にできることはない。数々の問題に対して答えを出すことはできないけれど、それはともかくとして、自分の日常はこうであるという確かな現実が必要なのだ。日常の歪みとして譲れる部分もあれば、死守したい部分もある。そのようなやりとりの中で、最低限の日常を守ることが出来さえすれば、幸せな生活を送り、やがて年を取り、死ぬことができる。
 では、山岡に取って日常とは何なのか。何が守られれば不満なく人生を送っていくことができるのだろうか。
 まずはデザインの仕事を続けられることだった。そしてやがて愛する人に巡りあい、結婚し、子供ができ、その子どもが成長していくという可能性が潰されないことだった。でも、たとえば自分の仕事が原発の電力に支えられているとしたら? たとえば子供の人生が原発の存在によって歪められるとしたら?
 もしかしたら自分の思う最低限は、贅沢なのかもしれない、と山岡は思う。


 二日後の水曜日、同じ喫茶店に出向いた山岡は、入口に向かう階段であの女性とすれ違う。
「どうも」と挨拶をすると、女性は山岡に気づいて、言う。
「これから散歩でもしようかと思うんです」
「ご一緒してもいいですか?」山岡は言う。あれから長い間、誰とも話すことなく家に閉じこもっていたから、誰とでもいいから会話したい気分だった。
「コーヒーはいいんですか?」女性が尋ねる。迷惑そうな様子ではない。
「そのへんの店で買って、歩きながら飲みますよ。それだけ、付き合ってもらってもいいですか?」
「はい」女性はそう言って頷く。山岡は上がってきた階段を引き返す。


 コーヒーを買って公園にたどりつく。スナフキンによる殺害予告があってからすぐは街も閑散としていたのだが、さすがに日が経ったせいか、あるいは予告地点からある程度離れているせいか、主婦や子供たちの集団が見られた。みな、明るい顔をしていた。やはり太陽の力は偉大なのだ。
 山岡たちはベンチに座る。遊ぶ子供たちが、まるで古い映画のワンシーンのように見える。すぐ近くにいるのに、まるで遠い世界の出来事のように映る。しばらくすれば慣れるのだろうか。
「素敵ですね」女性が言う。「遊びたくて、だから元気に遊んでて、それだけなんですよね」
 山岡はコーヒーを飲みながら頷く。子供たちに対して何かコメントをしようかと考えながらも、一方で女性のことが気にかかっている。この人は、どうして心の病になってしまったのだろうか。それはいったい、どういう病気で、何が原因だったのだろうか。でも不躾にそれを訊くのは、あまりに無遠慮な気がしていた。おそらく、女性もそんな話はしたくないだろう。
 どこか遠くで救急車のサイレンが聞こえる。それは木々のざわめきと混じりあい、日常的な長閑さすら演出している。山岡は子供の頃のことを思い出す。やがて時間が経つと日が翳り、夕方になると子供たちは家に帰るのだろう。子供だった頃の山岡を、そのことを知っていた。太陽の中で遊びながらも、その時間はやがて終わるのだということを知っていた。いつか終わるという寂しさをどこかで抱えながら、楽しければ楽しいほど、その寂しさを実感しながら遊んでいたのだった。
 そう、あの頃は、いつかは終わるのだと知っていた。やがて大人になり、昼と夜、夜と昼がなだらかに繋がると、太陽を節目に終わりを実感することはなくなってしまったけれど、それはきっと、自分を騙しているに過ぎないのだ。
「僕らも、したいことをすべきなんですよね、きっと」山岡は言う。
「したいことかぁ」女性が誰に言うでもなく呟く。
「何かありますか?」山岡が訊く。
 女性は少しだけ悩んで、それから言う。「今は、おいしいケーキが食べたいかな」
「僕はおいしいコーヒーが飲めれば、それで幸せですね」
「じゃあ、おいしいケーキや、コーヒーを口にできるくらいのお金は必要ですね」女性がそう言って笑う。「仕事しなきゃ」
「仕事もきっと、楽しいに越したことはないですよね」
「楽しくないんですか?」女性は山岡の方を見る。
「楽しいですよ。辛いこともありますけどね」
「何をやってらっしゃるんですか?」
「ちょっとしたデザインです。広告とかの」
「えー。かっこいい」
「そんなにかっこよくはないです」
「でも、いいじゃないですか。デザインが好きで、デザインの仕事ができて」
 そんなに単純な話ではないのだ、と山岡は思う。人間関係もあるし、お金の話もある。スケジュールもある。でも、もっと引いた目で見たら、それこそ隣に座っている女性の視点まで引いたところから自分を見たら、もしかすると幸せなのかもしれないな、と思う。
「どうですか? 仕事は」山岡は多少の失礼を承知で、女性に尋ねてみる。
「うーん。詳しく説明するのはめんどくさいけど、あんまり楽しくはないです。もっと別のことをしたいな」
「たとえば?」
「たとえば、そうですね、人に感謝されたいです」女性ははっきりと口にする。
「感謝されるような仕事、見つければいいじゃないですか。それで少しのお金を稼いで、おいしいケーキを食べて」
「素敵ですね」
 そんなに単純な話ではないのだろう、と山岡は思いながらも、細かいことについては考えないことに決める。「それで、原発から離れたところに住めばいい」
「できればそうしたいですね」女性は笑いながら言う。
「他に、やりたいことってないですか?」山岡は尋ねる。
「そうだなぁ。恋がしたいですね」
「できますよ」
「本当に?」
「絶対に」
「なんで言い切れるんですか?」女性は少し口を尖らせて、山岡を見る。
「だって、恋がしたいんでしょう? したいなら、できますよ。そういうもんです」
「そういうもんですか」
 少し強い風が吹く。首に冷たさを感じる。木々がさらに揺れて音を立てるが、それはすぐに通りすぎてしまう。
「ねえ」女性は立ち上がって言う。「もし、私の『したい』と、あなたの『したい』が、ぶつかっちゃったらどうします?」
「どういうこと?」
「たとえば、私はあなたの持ってるコーヒーを、飲みたくて飲みたくてたまらないんです。でもあなたは、そのコーヒーを渡したくない」
「そんなにケチな人間じゃないよ」
「知ってます」女性は笑う。「たとえばの話。あなたはすごくケチなんです。だとしたら、どうします? 答えはふたつあります。渡す。渡さない」
 山岡は少し考えてから、答える。「それは、俺があなたに、どれくらい好意を抱いているかによって答えが変わるんじゃないかな」
「じゃあ私は、あなたに好きになってもらえるように、努力すればいいってことですね」
「そうだね」
 女性は何かを考えるように、空を眺める。山岡もつられるように、視線を上空へと移す。飛行機が淡い雲を引いて飛んでいくのが見える。
「じゃあもしも……」女性が言う。「あなたに好きになってもらうためには、どうしてもコーヒーをもらっちゃいけないってことになったら、どうすればいいんだろう」
「それは、どういう状況?」
「たとえばこれまでの話で、私はあなたのコヒーへの異常なこだわりを聞かされてるってわけ。カップの中に入ったコーヒーを、いかに冷まさず、いかに自分の喉を満足させるような配分で口に入れていくかを、事細かに計算して飲んでいるっていう、そういう話を」
「そんな人、いないよ」
「分かってますよ。たとえばの話です」
 山岡は少し考える。たとえばこの女性にコーヒーを取られると、すごく嫌な気分になるとする。「でも、半分くらいはあげるよ」
「どうして?」
「自分ひとりが幸せっていうのは、なんか幸せとは違う気がするから、かな」
「そっか」
 女性はそう言うと、大きく伸びをしてから山岡の方に向き直る。山岡はコーヒーを渡す。女性はそれを笑いながら受け取って、おいしそうに飲む。本当に、おいしそうに飲む。
「すべきと、したいは、違うよね」
 そう言いながら、コーヒーを返すとき、女性の手が、山岡の手に触れる。山岡は、その冷たさを感じて、なぜだか安心する。
「すべきじゃなくても、したいことって、あっていいのよね」女性は呟く。「私は、何をしたいんだろう」
 太陽に照らされた公園に投げ出されたその疑問は、しばらく中空に留まりつづけていた。山岡はその疑問をぼんやりと見つめながら、女性を喫茶店に誘おうかどうか、少し迷っている。