書くということについて

ここのところ体調が悪くなることが多く
喉が痛かったり、頭が重かったりします。
精神的な症状かもしれないと思うこともありますが
今のところ、仕事に大きな支障はないので、よしとしています。


小説を書きつづけてきました。
正確な自己評価というのは、とても難しいのですが
今回は信頼する友人から、よく書けているとの評をもらったので
きちんとしたものになったのではないかと思っています。


そもそも自分にとって物を書くとは
自分にとって理想の「未来の自分」と、現状を、一致させるための行為です。
このまま仕事を続けて、至ることのできる未来は
どんなに頑張っても、理想には届かないのです。


だからマリオとルイージを同時に操作するようなことを
ずっとしつづけてきました。
マリオ(会社)の方は、結構頑張ってたのです。
でも最近、ルイージ(小説)が追いあげてくると
両方をキープすることが難しくなって
体調の方に無理が来てしまったんだろうなぁと


少々、反省しています。
今回書いたものをどこかに送ったら、結果が出るまで
ちょっと、小説をおやすみし、マリオに専念しようかと。


ーーー


さて、今回は「書く」ことについての話。


今回書いたものは、自分が普段抱えている3つの問題を
フィクションの世界に移し変えたような作品になりました。


まずひとつが「記憶と呪い」という問題です。


人は得てして、記憶によって呪われているものです。
自分も具体的なひとつの「呪い」にかかっていて
それは「評価する側ではなく、される側にならなければいけない」という
強迫観念のようなものです。


具体的に、どんな記憶からくる呪いなのかは割愛します。
自分のこの性質については、いろんな人が褒めてくれるのですが
僕自身にとっては、呪い以外の何物でもありません。


他人を評価する側に回り、否定することができたら
そんなに楽なことはないのです。
でも、自分にはそれができません。
非常に精神的な苦痛を伴う「呪い」です。


そんなエピソードがあるからこそ
自分にとって、記憶と呪いの原理を解明することは
とても重要なことでした。


ふたつ目が「主語のない暴力」という問題です。


社会はときに、誰かを批判するムードに包まれます。
それは「日本」という大きな社会だけではなく
たとえば、会社の「チーム」といった小さな社会においても起こる現象です。


原因は往々にして批判される人にあるのですが
それにしても、そういった暴力の持つ「無神経さ」には
社会人生活を送る中で、辟易としていました。


それにしても、批判の何が気に入らないのだろう、というのは
自分自身でも不思議でした。
もしかすると、その暴力には主語がないからではないか
暴力を振るうものとして果たすべき責任が、放棄されているからではないか、と
最近、そんなことに気づいたのでした。


社会にはときに暴力が必要です。
しかし、その暴力は「私がふるいました」と、はっきり誰かが主張し
そこに若干の悪意を認めなければ、存在してはいけないものだと思うのです。


自分が暴力の主体になりたくはない。
でも、あの人には罰が下されるべきだと思う、という発想は
社会をどんどん疲弊させていきます。
誰かがブレーキを掛けなければ、主語のない暴力が横行し
それは、深い落とし穴を生むと思うのです。


その落とし穴に次、落ちるのは
あなたなのかもしれないのです。


もうひとつの問題は「噂」についてです。


これは、小説を書きはじめる直接のキッカケになりました。
地震のあと、様々な噂が横行し、真実がどこにあるか分からなくなり
僕たちはとても疲弊しました。


そんな中、僕の頭には「相原サユミ」という
誰とでも寝る高校生の女の子が、浮かび上がってきたのです。


地震という正体不明のカタストロフと、それを取り巻く噂について
直接解明しようと試みることは、自分にとって超えられないハードルですが
誰とでも寝る女の子と、それを取り巻く噂については
描ききることができるのではないかと思いました。


地震を女の子に移し変えても、噂というものの本質は変わらないはず。
そう信じて、自分は今回の物語を書こうと思い立ったのです。


ーーー


書くという行為は快感です。


サユミという人間の、仕草や言葉を描いていくことで
彼女はひとりのキャラクターとして自我を持ちはじめます。
自分とは違う考え方をする人間の思考をトレースするためには
なんとか、サユミになりきらなくてはなりません。


自分がしたことのない思考法で、サユミだったらここでこう言うんじゃないかと
想像し、じわじわと書き進めていくのには
まるで自分の脳を拡張していっているような、不思議な快楽があります。


とはいえ、もともとが自分の脳味噌なので
どうしても自分の持っている問題意識に引きずられて
サユミや、それを取り巻く人間たちは動き出します。


「噂」を描こうと思ってはじまった物語は
やがて「主語のない暴力」の問題を取り込み
最後には「記憶と呪い」の問題を取り込んでしまいました。


結果、物語の骨は「記憶と呪い」の問題になりました。
答えが出たような、そうでないような感じですが
小説とは、まあそんなものでしょう。


ーーー


このような経緯で、ひとつの物語を書き上げたのですが
書くという行為は、結局のところ
問題の移し替えに過ぎないんだなぁと、強く感じたのでした。


そして(少々大それたことを書きますが)
1995年からこっち、物語とは、たったひとつの問題の
移し替えでしかないのではないだろうか、と思っています。


『自分ではどうしようもないほどの
 圧倒的な力を前にして
 私たちは、どう生きていけばいいのだろう』


立ち向かってもいい、迷ってもいい、無視してもいい。
渋谷のホテルで戦争の終わりを待つのもそう。
使徒から逃げるのも、魔法少女になるのもそう。
1Q84で、たったひとつの愛を貫くのもそう。


自分の記憶を守りぬくのもそうだし
誰とでも寝る女の子と、関係性を築くのもそう。


この問題と真摯に向き合っている限り
全ての物語には、存在する価値があるし
今を生き抜くためのメソッドに成りうるのではないかと
そう、思っているのです。


ーーー


自分の存在に意味を見出そうとするのは
あるいは、僕の悪い癖なのかもしれません。


でも、自分のやっていることには意味があるんだって
信じるくらいはいいでしょう?


いつかたくさんの人が、自分の作品に触れてくれて
そこから何らかの価値を受け取ってくれたならと
そう、願っています。


そのためにも、まだまだ自分の実力を磨かないと!
マリオもルイージも。