架空の神についての考察

その地下室は、死都(すなわち滅びてしまった東京)のすぐ近くにある。
老人が一人、そこに暮らしている。
その目は現実を見据えていない。
何を聞いても答えは返ってこない。
魂がすっかり抜け落ちてしまったのだ。


地下室は厳重すぎるほど厳重に警備されている。
部屋の入り口に、銃を持った兵士が2名。
建物の入り口に、銃を持った兵士が4名。
建物に隣接する国道添いに10数名。
わざと兵士を配していない裏道には、私服警備員が5名ほど。
ただし、侵入者は未だ一人もいない。
死都の境は不明確だ。そして一度入ったら出られない。
危険を冒してまで近づこうとするものなど、いるはずがない。


少女は老人の世話係で、毎日食事を運んでいる。
老人にとって少女は幼なじみの恋人で、食事を食べるときは14歳の少年だ。
14歳の頃の彼は、母親の言葉の全てを正しいと思い込んでいた。


母親は否定されるのが嫌いだった。
一度否定すると攻撃的になり、二度目は怒り
三度目に泣いた(これは質が悪かった)。
幼い頃からの洗脳は恐ろしいもので
彼は自分が間違っているという前提のもと、大きくなった。
やがて意志が消失した。
そのまま成長し、母親と同じ職についた。
会計士である。


母親は会計士の仕事にとうに飽いていたが
息子の手前、自分の仕事に誇りを持ち続けている振りをした。
人生が見えるんだ、母親は言った。
彼はその言葉を疑うことなく、仕事を続け
そして人生が見えるようになった。


彼は友人の会計士に言った。
数字を見ていると、その人の生活やら考え方が見えておもしろい、と。
友人は同意した。そこがこの仕事で、唯一の楽しみかもしれないと。
しかし、二人の認識には大きな開きがあった。
彼は想像していたのではない。
数字を通じて、記憶を覗いていたのだ。


その経験は、彼の趣味にも生かされる。
デジタルという枠組みの中に、思考のレプリカを作る。
偉業だが、彼はこの趣味について、たった一人の人間にしか話していない。
自己顕示欲は幼い頃に殺されている。
彼の意志は、劣等感という墓石の下で腐る死体だった。


彼が研究所の所長に抜擢されたとき
アンドロイドの基本理論は、既に完成していたという。
ただ一点、自発的な『意志』だけを除いて。


世にアンドロイドを送り出した戦争は、未だ続いている。
大義名分はとうに入れ変わり
アンドロイドの権利に対する保守派と過激派の争いになっているのだが
両者とも一貫して、自由を守るために戦っている。
(自由を守るのが軍だ。いつの時代にあっても)


戦力は均衡しているため、そこに戦火はない。
人や兵器の配置換えが、もはや数年間続いているが
コンピュータは確実な勝算をはじき出さず、両軍ともに動けない。
頼みの綱である中立派ゲリラの感情を動かすため
神である老人の生死は、重要なファクターである。


生きてもいない、死んでもいない、という今の状況が知れたら
緊張状態はさらに長く続くだろう。
神の身柄を抱えている保守派は
なんとか生きていることを公表したいのだが
今の彼をメディアに登場させるわけにはいかない。


そんな状況の中、歴史の裏から第三者が登場する。


ある日、少女が過激派の軍服を身につけさせられ、裏口から建物に入る。
私服警備員は、買収されている。
老人はいつものように、少女を記憶の中の誰かと勘違いする。
少女はその意味もわからぬまま、覚えたての台詞を口にする。
私は死んでいない。事故なんて起こっていない。
全てはあなたを、研究に従事させるための偽りだった。


老人が会計士だったころ、仕事の顧客として、幼なじみの少女と再会した。
ふたりは次第に打ちとけ、互いの理解を深める過程で、彼女は人工知能のことを知る。
ある夜、彼女は激しく訴えかける。
これを仕事にして、完成させるべきだ。あなたは夢を見るべきなんだ。


そして翌日、彼女は事故死する。


それをきっかけに、彼は会計士の仕事をやめる。
ほとんど完成されている人工知能の理論と、そのプログラミング技術を買われ
とある研究所に雇われたのは数ヶ月後のこと。
それからアンドロイドを開発し、博士と呼ばれるようになるまで、長い物語があるのだが
その人生の最終章にて、彼は偽りの恋をしている。


その恋は、はじめから偽りだった。
本当の幼なじみは秘密裏に殺され、遺体は骨も残らぬ高温で焼き尽くされた。
整形といくつかの書類偽装によって、彼女に成りすました何者かが
才能を持った男に近づき、説得し、事故死したのだ。


真実を知らない老人は涙を流し、それを見て少女は言う。
会いにいきましょう、あの人はすぐ近くに暮らしているの。
老人は立ち上がる。
ゆっくりと歩いていく。
少女は老人を、死都へと導く。
二人の姿は、フィルムに焼き付けられる。


少女と別れた老人は、西新宿へ向かう。
神と崇められた老人がひとり、死都を歩く。
記憶が錯綜しているのか、意味のない言葉つぶやき…
いや、これは本当に意味のない言葉なのだろうか。


恐かったんだ。だからやってない。
意志を持たせるのが恐かった。だからやってない。作ってない。
人間と変わらない? バカ言うんじゃない。
あの子たちは、状況判断しているにすぎない。
アンドロイドは完成していない。あんたとの約束は守れなかった。
怖かった。怖くて守れなかった。神様? 全部知ってたんだ俺は!
だまされる他に何か方法でも? ざまあみろ。
意志を持たな い人間の群れ が社会 止まる 止まればいい!!
ざまあみろ…。


もちろん、これを聞いている人は、一人もいない。
時間の概念がない、ゼロ空間と化した都市から
情報が漏れることはない。


アンドロイドの数は既に、全人口の半分を超えている。