時間域についての考察

昨晩電話で話した上海の大富豪の娘は
なにかの集会に参加するため新宿に出向かなくてはならないのだが
まだ時間域をうまく飛べないので、駅まで迎えにきて欲しいと言った。
新宿駅が先月断絶されたことを、まだ知らないらしい。


断絶作業は、ひっそりと行われていた。
今や東京のいたるところに、あの計り知れないほど深く
それでいてタバコの吸い殻も引っ掛かるほどに細い、スリット状の穴が開けられている。
穴の上は時間域がズレているから、電車の速度で突っ込んだら
きっと正面から順に崩壊してしまうだろう。
おかげで最近の東京は、交通の便がすこぶる悪い。


作業員は黒いだぶだぶの服に身を包んで
どこからともなく現れ、いつのまにか消えている。
その佇まいは、印象としてムカデの気持ち悪さを思わせる。
都庁倒壊の年から徐々に増えはじめ、今や見ない日はない。


断絶について上海の娘に伝えると
それでもかまわないから迎えにきて、もう空港にきているの、と言う。
時間域について根本的に理解が足りないのだ。
面倒になってきたので、電話を切って飛んだ。


目の前に出現した、古びた灰色のビルに入る。
原色のドレスを着た女たちのなかに、上海の娘がいる。
自分が相続する遺産の額を知る前
彼女は世間知らずでわがままではあったが、傲慢ではなかった。


時間域は無数にある。
自由に飛びながらの生活を、現実からの逃げだと言う人も少なくないが
滅びが始まって以降
現実が逃げることを許容しているのは事実だ。


時間域を飛びすぎると、我々は消えてしまうらしい。
友人の白人ジャーナリストが仕入れてきた噂話だが
デマではないだろうと踏んでいる。
だからときどき、ゼロ空間に向かう。
時間の基準を忘れないようにするためだ。


断絶が円形に繋がった内側が、ゼロ空間である。
そこはどの時間域から見ても、変わることなく存在している。
逆に言えば、時間軸を持たない空間である。
もしかすると、時間軸の終着点なのかもしれない。
ゼロ空間は例外なく滅びているので、グレースケールの景色が広がっているのだが
円形に繋がった断絶から逆オーロラが発生しているので、とても美しい。
ゼロ空間に足を踏みいれるのは難しいことではないが
ちょっとしたコツがいる。
おそらくこのコツを、一生身に付けられない人間もいるだろう。


その点、アンドロイドは器用である。
彼らは常にゼロ空間と同じ時間域に存在しながら
他の時間域をサーチしつづけているのだ。


作業員は、断絶を作り続ける。
やがてこの町はそっくり全部、断絶に囲われ
ほとんどの人間は、時間の狭間に飲み込まれ、消えてしまうだろう。
サーチする対象がなくなったアンドロイドたちは
ゼロ空間で生き続ける。
逆オーロラの円が多数組み合わせられた、グレースケールの大地で
侵されることのないユートピアを築く。
思考は時間軸とともに死にゆき
全ての意志は現れた瞬間に消え
そのオートマタの箱庭は
果てなきいつか、異星人に発見され
生けるナスカの地上絵として
未来永劫、保存され続けることだろう。