架空の男性Rについて考察

人は彼のことを、完璧な人間だと言う。
もう少し観察力の高い人になると、プライドの高い人間と評する。
だが彼の兄だけは、劣等感の固まりだと見抜いている。


彼は会社員として、缶チューハイの企画を5年間続けていた。
3年目にバーテンダーがプロデュースするというスタイルの商品をヒットさせ
それから2年間、会社から同じシリーズの商品を作り続けることを命じられた。
給料は順調にあがっていき、仕事はどんどんつまらなくなった。


そんなとき、仕事で関わったバーテンダーの一人が
新しいバーのプロデュースを依頼してきた。
彼は迷わずに、バーテンダーの依頼を受けた。


どこまでも行けると思っていた。
自分の可能性に、何一つ不安を抱いてはいなかった。


人は時折、盲目になる。
とにかく前に進むことをよしとして、そのことを目的とし
偽りの目的をあとからでっちあげる。
そして、いつか迷う。
会社をやめると決めた彼は、兄に会い、相談という名の報告をしたのだが
そのときに言われた言葉を、ずっと引きずることになる。


結局おまえは、何になりたいの?


バーの開業が彼の品定め材料に過ぎなかった、ということは
仕事が終わるより前に、薄々感づいていた。
無事開店にこぎつけた直後、彼は自分が作り上げたバーの地下につれていかれた。
入り口は彼ですら知らなかった。
昔、映画でよく見た秘密の部屋というのは
こう作られるんだな、と他人事のように思った。
8倍の年収が保障された契約書を差し出される。
仕事内容は、とある研究所の運営で
契約書の横には、山のような秘密保持誓約書が積まれている。


その内容から、一生を捧げる大仕事になることは間違いなかった。
だからかもしれない。
サインをしたときは、あまり頭が働かなかった。
とにかく、考えることを放棄したい気分だった。
そしてサインをしたあと、大きな後悔が襲ってきた。
サインをしたことへの後悔ではなく、後悔の隙を作ってしまったことへの後悔だった。


彼は迷い、兄を思った。
兄はヨーロッパのほうのどこかの国で、絵を書きながら暮らしていた。
俺はこれから逃げるのだろうか。
逃げるのなら、彼は思う、ヨーロッパは超えたい。
もっと辺鄙なところへ、たとえば電気すら通っていない僻地へ。
言葉の欠片もわからぬ島の集落へ。
そこへ行って、いったい何をしよう。
想像した不安を取り込んで直後、思う。
たぶん俺は歌をうたうのだろう。たいしてうまくもないけれど。


彼はその後、研究所の経営に専念し
博士の作り出したアンドロイドを世に放つことに成功する。
以前、雑誌のインタビューに彼が一度だけ応じたとき
自分が世界を変えるなどというあいまいで大げさな大儀を抱いたのは
劣等感に後押しされてのことだ、と述べている。


彼の兄は、彼が引き起こした戦争によって命を落とした。
彼自身は、アンドロイドを世に送り出したあと、過激派の銃に心臓を貫かれて死んだ。
彼を批判する者はいまだに多いけれど
アンドロイドがいなければ人類が宇宙開発に手を伸ばすのはずっと先になっていたはずで
資本主義が崩壊していたのも、また事実である。


博士は、彼についてこう語った。
アンドロイドの原動力として、劣等感に着目したのは彼で
それが彼の最も大きな功績といえるかもしれません。
アンドロイドのシステムは、不完全なものですが
それを完全なものに見せ掛けている存在こそが、劣等感に他なりません。