架空の事件についての考察

容疑者がアンドロイドであることで、事件はメディアに大きく取り上げられた。
アンドロイドが人間を傷つけることは、システムとしてありえないからである。


現場は教会で、殺されたのは、洗礼を受けにきた14歳の女の子。
犯人の実名を示すダイイングメッセージが残されているが
銃で撃たれたという死因から見るに、筆跡がはっきりしすぎている。
名前の人物は、ある政府の高官と同姓同名だが
その高官は、別の事件で既に亡くなっている。


アンドロイドは容疑を認めているため
このメッセージを、誰が何のために残したのかは、謎に包まれている。


―A―


神を信じるかどうかは別として、洗礼だけは済ませておいた方がいい。
父親から電話で言われたとき、母親は居間のソファーに突っ伏していた。
今なら出かけられるかもしれない。娘は時計を確認する。
朝の8時、仕事で忙しい母が家にいるのは3日ぶりだ。
横浜から、ロスト23を避け、新都心へ。
2時間くらいはかかるかもしれない。


彼女は14歳で、両親が離婚したのは12歳のときだった。
出ていくことになった父親は、仕方がないんだと力なく笑い
会いたいときはいつでも会えるよ、と慰めてくれた。
娘は思った。会いたいときに会えるなら
仕事で会えなかった今までより、数段マシね。


娘は、親の離婚をアクセサリとして着飾った。
時には強さの象徴として、時には隠された弱さの象徴として
そのアクセサリは彼女を、少しだけ大人に見せるのに役立った。
おかげで実際にはひどく混乱していた彼女を
そう思って見る人は、誰一人いなかった。


新都心に辿りつき、父親を見つける。
ポケットに手を突っ込んで、誰かを気にしているようだ。
目線の先には、女の子がいる。


後ろから声をかける。狙ってるの?
娘を認めた父親は笑って、言葉を返す。どういう意味だ?
ヤリたいと思って見てたんでしょ。
男がいつもそうやって女を見てると思ってるんなら、それは間違いだ。
でもどっちかって言うと、ヤリたいタイプの子なんでしょう?
そんなことはどうだっていい。久しぶりだな、可愛くなった。
セクシーになった?
そういうのとは、ちょっと違うな。


男は殺し屋だった。
アンドロイド向けの薬を開発している製薬会社からの依頼で
目の前の女を追っていたのだ。
期日まで、まだ一ヵ月以上あるので
とりあえずは身辺調査を進めている。


男は盗んでデータを抜いたばかりの携帯を娘に渡して、言う。
落としたのを拾ったんだ。返してあげてくれないか。
娘は訝しげな目で父を見る。


いやだったらいいんだ。男はあわてて携帯をしまいかける。
それを見て、甘えてるんだ、と娘。
お父さんは、私の優しさに甘えてるんだ。
ふふ、と笑い、娘は携帯を奪いとって、女のもとへ走っていく。


娘は父親の職業について感づいていたが
それを言葉にすることはできずにいた。
いつか母のもとを出て、父とともに暮らせば
今の鬱屈した毎日から抜け出せるに違いない
そう信じ続けることが、彼女にとっての希望だったからである。


―B―


標的の女は3日前、既に
今日殺し屋が死ぬことを予知している。


彼女は幼いころを孤児院で暮らし
そこで共に生活していた兄が、生涯で唯一の友人である。
あまり外出することもなく
差出人不明の封筒に入っている現金を生活の糧にしている彼女にとって
兄だけが唯一の、外界との繋がりだ。
ある日そんな兄に、他人の死ばかりを予知してしまうのだと、ぽつり漏らした。


幼い頃から彼女を見つづけてきた兄は
予知のことも、もちろん聞かされていたし
彼女の周りで、あまりにたくさんの人が死ぬことにも気づいていた。
もしかすると彼女は、予知するのではなく、殺しているのかもしれないと
そう予測を立ててはいるが、妹には話せずにいる。
彼は妹が好きだった。
殺そうと思わずに、数えきれない人数をあやめてきたと
後から知らされる衝撃や悲しみなど、想像したくなかった。


彼は、予知を断ち切ろうと思い立つ。
殺そうとしている人間を、守りきったならば、いったいどうなるのだろうか。
妹自身が予知を信じなくなれば、彼女は解放されるのではないか。


兄は、殺される相手が妹の命を狙っているとは、露にも思っていない。


―C―


そのプロジェクトは、政府の一部の人間によって
極秘に進められていた。
今はテスト段階だが、仕組みが確立すれば
世界中の人間が、犯罪に怯えず暮らせるようになるだろう。


全てのアンドロイドには、あるチップが組み込まれている。
それは巨大なサーバーと通信を繰り返しており
人間と会話するために読み取った感情パターンを送信、分析することで
ある程度、起こりうる殺人犯罪を、予知することができる。


システムは、完全にアンドロイドからの情報のみを対象として構築されている。
そのことが大きなバグを呼び起こしていることに、彼らは気づいていない。


―D―


15年前、ある町医者が実子の命を救った。
手術にはどうしても、臓器がひとつ必要だったが
手に入らなかったため、アンドロイドのそれで代用した。
もちろん法律では認可されていない。


町医者の行いは、とある組織に嗅ぎつけられ
彼は殺された。
しかし彼はこの自体を予期していた。
既に子の父親になることはあきらめており
書類上、父と子の関係は一切断たれていた。
当然手術の記録も一切残されていなかったため
町医者から、実子の存在を辿ることはほぼ不可能であり
手術対象者が見つかることはなかった。


―E―


教会は事件に対して、一切のコメントを拒否している。
ミサに来ていた一部の人間からは
神の奇跡か、悪魔の所業としか思えない、という
あいまいな証言しか得られていない。


―F―


予知能力を持った少女と、殺し屋で父親でもある男は
教会から時間域をジャンプして、滅びた都市、ロスト23の内部にいる。
飛ぶ直前、何か恐ろしいことが起こった気がするが
男は何も覚えていない。
少女に話し掛けても、返事はない。
視線が焦点を結んでいない様子を見るに
どうやら精神に異常をきたしているようだ。


消えた記憶の切れ端から
父親は、娘の死を感じとる。
お父さんは私の優しさに甘えてるんだ。
確かにそうだったかもしれない、と父親は思う。


零れた涙は、逆オーロラの風に吹かれ
遥か上空へと昇ってゆく。