森と少年(1/4)

深い森がある。
そこに住むアンドロイドたちは、森の外を知らない。


生活に支障はない。
泉から通じる川は、水を森の隅々まで運んでいるし
無数にそびえ立つ木のいくつかには、コンセントプラグがある。
木の実は鳥や小動物を生かし、それらは他の動物を呼び寄せ
生態系が、最低限の生活を保障してくれる。


季節が緩やかに移り変わりどすれ、ほとんど変化のない毎日が続く。
それは平和である。
あらゆる争いがなく、あらゆる競争がなく
あらゆる希望がない、退屈な日々である。
だが、それを退屈と感じる『人間』はいなかった。


そして、変化をもたらしたのも人間だった。
川から離れたところ、誰も行こうとはしない場所へ
たまたま鹿を追いかけて入り込んでしまったアンドロイドの少女が
その男児を見つけた。
一歳になるかならないかだろう。
おぼつかない足取りで歩いていた幼児は、女の子を見て笑いかけた。
言葉を話せたのなら、見つかっちゃった、とでも言わんばかりの笑顔で。
それを見た瞬間、女の子は思った。
この子を私の、大切な宝物にしよう。


女の子の名前は0189。
アンドロイドたちは、それぞれに番号を名前として呼びあっていたが
この子に、そんな名前は似あわないと、女の子は思った。
0189は、男児に『セセラギ』という名前をつけた。
木々の間を走る川の流れが、彼女は大好きだったから。


セセラギは、みるみる成長し
アンドロイドたちにとって彼の成長は、一番の関心事となった。
セセラギによって、アンドロイドの生活は変わっていった。
彼を育てたいと思うアンドロイドたちが
はじめての諍いを起こした。
誰もが足を踏み入れようとしなかった森の奥へ、迷い込んだ彼を追って
アンドロイドたちは川の源泉を知った。
彼が思いついた数々の遊びが
アンドロイドたちの生活を豊かにした。


そして15年の月日が流れた。


セセラギは、次第に森の外へ興味を向けるようになった。
海も、砂漠も、都市も、その名前だけを知りながら
実際に見ることのできない状態が、彼を苛立たせた。
今、自分が知っている以上のことを、知りたかった。


もちろん、森の外へ抜け出そうとしたことも、一度や二度ではないのだが
その試みは、いつも失敗に終わった。
気づいたらもとの場所に戻って来ていたことなど、何度もあった。
川に沿って下流に歩いていったときでさえ
辿り着いたのは見慣れた川辺だった。
流れる水が、周を描いているはずはないのだが
セセラギにも、辿る川を見失ってはいない、絶対の自信があった。


何かがおかしいと感じはじめていた。
森自体の存在に、疑問を抱きはじめていた。
どうすれば森の外に辿り着けるのか、そればかり考えていた。


森を燃やせばいい。
そうすれば、見晴らしが良くなって
森の果てを確認できる。
そう思ったセセラギは、0189に相談する。


もちろん0189は反対した。
私たちはどうなるの?
森と一緒に燃えてしまったら?
セセラギは言った。
炎よりも速く、外に向かって走ればいい。
燃えるより前に、僕らをこんなところに閉じ込めている誰かが
姿を現わすに決まってる。


セセラギの背は0189をとうに追い抜いている。
外見年令も、さほど変わらない。
そのせいか、二人はいつしか、対等な立場で言葉を交わすようになっていた。
その日も二人は、意見を対立させたまま、言い争いを止めた。


森が燃えた夜、焚火の見張り役はセセラギの番だった。
それは、いつもより強めの風が起こした偶然なのだが
広がる炎を見て、森の外が気にならなかったかと言えば嘘になる。
セセラギはすぐにみんなを起こしたが
その頃には、消し止めることが出来ぬほど、炎が大きくなっていた。


みんな炎と逆方向へと逃げたのだが
火の手はセセラギの想像より、何十倍も速かった。
走りながら、セセラギは考えていた。
燃え上がる炎に気づいたとき、自分は消し止めるのを躊躇しなかったか。
気づいた瞬間に消すことだけを考えていれば
こんな事態にはならなかったんじゃないか。
そうでなくても、責任はおおいにある。
そもそも焚火自体
体温調節のできないセセラギのために焚かれていたのだ。


0189がセセラギの名を呼んで、言った。
川に潜って、上流に逃げるのよ。
火が通りすぎた後の場所に出られるはず。
みんなは? 聞いたセセラギに対して、0189は首を横に振った。
体の内部に水が入り込むと、システムがショートしてしまうため
アンドロイドは、長時間泳ぐことができない。


僕も一緒に。言いかけたが、言いおわる前に制された。
自分だけで、泳いで逃げるしか、方法はなかった。
悩んでいる時間すらなかった。


ごめんなさい。セセラギは言った。
ありがとう。0189は言った。
感謝してる。
森で暮らした数百年のなかで
あなたと出会ってからの15年が、一番楽しかった。


セセラギは川に飛び込む。
上流に向かい、必死で泳ぐ。
頭上に広がる赤の揺らぎを抜け
火の粉のくすぶる黒い森に辿りついたとき
彼の意識は途切れた。


目が覚めたとき、そこは別世界になっていた。
足元には灰が積もり
木々は炭となって、辺りに転がっている。
焼け爛れ、金属の骨組みだけになったアンドロイドが何体か
意識のない状態で、辺りをさまよっている。


そして、そのずっと先
かつて森だったであろう場所を囲むように
逆オーロラが立ち上っている。


セセラギは思う。
知る必要などなかったのではないかと。


膨張する都市の幻影。