吸引力

女の子のお尻には、男を引きつける強い吸引力が備わっていて
それは、正常な判断力を無効化してしまう。
お尻を求めることで訪れる未来を描くための
子どもでも持ち合わせているような想像力すら
瞬時にして奪われてしまうのだ。


少しだけ会社の休みが出たので
そんな「吸引力」について、考えてみることにした。
せっかくなので、メモを残しておこうと思う。


//---


仕事で出会ったある人に
ゲームセンターに置かれている、とあるゲームを勧められた。
レール移動のガンシューティング
200円で開始、100円でコンティニューが出来るというものだ。


ゲームセンターに寄ったついでに
そのゲームをプレイしてみようと思い、探したのだが
少々大きめのシアターブースの壁面に描かれたタイトルを発見したとき
このゲームはダメだ、と直感的に思った。


ゲームをやりたいと思わせる
吸引力がゼロなのだ。


それでも仕方ない勉強だと、自分に言い聞かせ
ブースに入って200円を投入した。
ゲームはひどいできで、先を見たいと少しも思えず
ゲームオーバーになってから100円を投入する気になど
さらさらなれなかった。


ゲームをプレイすることで得られる
自分の「感情」が、全く想像できなかった、というのが
吸引力を感じなかった理由だと思う。


//---


僕がつい最近感じた強い吸引力は
iPod nanoが発する、それであった。
あの小さなボディにビデオカメラがついているという事実
そして、光沢感ある本体を持ったときの手触りは
正常な判断力を奪わせるのに十分な材料だった。


これはもはや、ファッションだ。
魅力的なガジェットは、それを持つ自分が
スタイリッシュであるかのような錯覚を覚えさせてくれる。


結局買ってしまった。14800円8G。
あれだけ魅力的に見えたビデオカメラよりむしろ
FMラジオの方が使い勝手が良い。


//---


エンタメは「シアター型」と「パーティー型」に
大きく2分することができる。


今回ゲームセンターでプレイしたゲームは
シアター型に分類されるわけだけど
じゃあ、吸引力の強い「シアター型エンタメ」ってなんだろう。


たとえば、おばけやしき。
800円払って、中には入るけれど
その800円は、得だと思えるのか、損だと思うのか。


ということで行ってきた。
東京ドームシティのお化け屋敷。


密度が濃く、豪華だったし
また、恐怖を求めて行って
しっかり恐怖が満たされたってこともあり
かなり楽しめた。


では吸引力はあったのか?
残念ながら、ありませんでした。


それはお化け屋敷のある場所や、周囲の環境が
強く影響してるんだと思う。
期待した恐怖が満たされる、という
確実な保証を、中に入るまで得られなかった。


//---


シアター型エンタメの代表格は
ディズニーランドだと思う。


ということで、思い立って行ってきた。
ハロウィーンが始まったばかりで混んでいたけれど
いつもどおり、楽しめた。


ディズニーランドの持つ吸引力は
非常に複雑だと思う。
まず、アトラクションそのものの体験に
強い「感情の予感」がない。


ジェットコースターの恐怖を体験するために
ビッグサンダーマウンテンに並ぶのか。
速いジェットコースターなら、日本中に
それこそ腐るほどある。
それらと比較して「恐い」のかというと
決してそうではない。


では、なぜ我々はディズニーランドに行き
アトラクションに並んでしまうのか。


//---


たぶん僕たちは、ディズニーランドの中に入る時点で
吸引力の内部に取り込まれているのだろう。
ディズニーランドが工夫しているのは
その「吸引力」の魔法が解けないようにする工夫であって
アトラクションに「吸引」する努力ではない。


そこかしこでのパレード。
ディズニーキャラクターとの思わぬ遭遇。
突如出現するマーチングバンド。


それらが我々を引きつけてくれることで
結果的に「現実」に戻らずにすみ
「吸引力」のなかでだまされて、120分の列に並んでしまうのだ。


//---


勿論、映画もシアター型エンタメだ。


ということで、久しぶりに映画館に行ってきた。
あんまり観たい物がなかったので
仕方なく、エヴァンゲリオンを観た。


さて、自分はここで支払った1800円という値段に対して
どういう感情を抱くのだろうか。


結果、無駄にしたとは思わなかった。


まずエヴァンゲリオン自体が、いい映画だなぁと思った。
意識のベクトルと、力のベクトルがシンクロした状態で
必死に手を伸ばすってのは、なんかすごくいい。
それから、右手を突き出したらATフィールドが張られる
360natalのゲームを、絶対に作ろうと心に決めた。


それはそれとして。


では、映画の出来が悪かったら
無駄にしたと思うのだろうか。


そうは感じない気がする。
90分なり120分の、作られた映像を
大画面と、大きなスピーカーで見るという体験そのものが
もう1800円の価値あるものとして
自分の中に刷り込まれている気がするからだ。


「吸引力」という視点に立ってみると、尚更だと思う。
映画の予告編を観ていると、3本に1本は
財布から1800円が消えても構わないと思えるだけの
吸引力を持った映像に出くわす。


その吸引力を感じるのは
予告編を観た、その瞬間だけかもしれない。
しかし、それは確実に存在する、強い力だ。


//---


では家庭用ゲームソフトが持つべき
吸引力ってのは何なのかってのを
もうちょっと考えてみようと思う。


答えをすぐに出さないほうがいいような気がしている。