少女は全速力で走っているが

少女は全速力で走っているが
その理由を知らない。
一歩ごとに、記憶が失われていくからだ。


少女は、走ることが
記憶を奪っていくのだと、知っていた。
やがて走ることを決めたその理由さえ
忘れてしまうのだと。


それにも関わらず走り出したってことは
たぶん、相当に強い理由があったのだろう。
それを忘れても、守らねばならない何か
救わなければならない何か。


もはや何も覚えていないのだけど
少女は走り続ける。
過去の自分を信じつづけている。


ーーー


少女は、ある権力者の養女だった。
幼い頃に身元を引き受けられた彼女は
自分が、父と呼び続けた男が
本当の父でないと知ったとき
何を信じていいのかわからなくなった。


少女は不思議な力を3つ持っていた。
それは少女の父が、その権力を拡大する
大きな手段となっていたのだ。


父は言った。
おまえの力は、パズルのピースだ。
それがうまくかみ合ったときに
はじめて、救われるのだと。


救われるのはお父さん?
それともあたし?
信者さん?


少女が訊くと、父はいつも同じ答えを返した。
我々の使命は、救いの総量を増やすことだ。
誰が救われるのか
それは大きな問題ではない。


大問題だ、と少女は思う。
人は理由があって生きるのよ。


お父さんは、目的と理由を
いつもキレイにすり替える。
私が作られた理由は、大きな目的の
ごく一部に過ぎないかもしれないけれど
それこそが、私にとって
唯一意味のあることなんだから。


ーーー


少女の記憶は中央サーバーに記録されている。
各所に点在する電波基地からの
物理的距離が保たれてさえいれば
電波に乗った情報が
リアルタイムにメモリを書き換えてくれるので
人が過去のことを思い出すのに要する時間より
はるかに短い時間で、情報を引き出せる。


だが、最近確認されるようになった「霧」が
ジャミングとして電波を妨害するため
アンドロイドたちは、次第に過去を失っていった。


中央サーバーから離れるほどに
少女の記憶は消えていく。


霧が、人為的に発生させられたものなのか
環境破壊が顕在化したひとつの形なのか
メディアの発する情報は錯綜し
専門家たちも、意見を決め兼ねている。


ーーー


記憶のほとんどを手放した少女は
手足が痺れ、こめかみが麻痺した状態で
半ば、驚いている。


私は、過去の自分を信じて
こんなにも走れるんだ。


私は、過去の自分を肯定するために
こんなにも必死になれるんだ。


その覚悟を、ただただ
誇りに思っている。


足が止まる、その瞬間まで。
ずっと、ずっと。

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sshimoda