最近の出来事

  • 小説を書き上げました

あいかわらず100枚です。長いのは無理だ。
全てのセンテンスに必然性がなければという
強迫観念に囚われているからで
それはきっと素人にありがちな
悪い意味での力の抜けなさの所為なんだと思う。


読みたいという方が、もしいましたら
また気軽にメールでも。


書き上がった直後は、芥川賞頂いた! と本気で思っていて
でも今は新人賞レベルかなぁと思うようになり
実際には一次予選通過するくらいなのかもしれない。
わからない。わかりませんが
お願い 思いが届くといいな


中田ヤスタカという人間の(彼にとって)長い時間が詰まってるという
そういう意味で、とっても面白いアルバムになっている。
彼の曲を聴くたびに、ものを作る上での姿勢は(もちろんゲームも小説も)
こうでなくてはならない、と反省させられる。


どこかからマネージャーへのインタビュー記事をまんま転載。


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ポリリズム」の時もそうでした。
NHK環境リサイクルキャンペーンソングというのもあって、
何回も中田さんに直していただいたんです。
だけど、途中でリズムが複雑に重なる、
まさにポリリズムのところを変えて欲しいって言ったら、
中田さんが「僕が行きます。行って説明します」ってアミューズまで来たんです。
「今の若い世代はどんどん新しいものを取り入れるから、
 若い子の音を聴いてそれに合わせるのでは遅い。
 クリエイター側は、それよりさらに先のことを考えて作るくらいでないとダメだ」
といわれましたね。
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で、新しいアルバムを聴くと
低音がバリバリいうフロアチューンで満足しているかというとそうでなく
後半はcapsuleの最新作、FLASHBACKを思わせる独自性。
留まったら負けだ、という意気込みを感じる。


若い中学生や高校生が
perfumeをどんどん聴くといいと思う。YUIとかじゃなくてさ。
これをきっかけに、みんなエレクトロな世界にやってくればいいと思う。


最近気づいたことがあって
俺はあ〜ちゃん派です。
顔だけ見てのっちが好きとか言ってる人は
YOUTUBEでライブのMCを聞いてください。


  • HOUSEの魅力に取りつかれています

昔DJをやっていた友達が言っていたことを思い出す。
なぜ人は回しはじめたのか。
だって曲ってさ、サビが一番気持ちよくて
じゃあサビばっかりでよくね? みたいな歴史があるらしく
最近になって、それが実感できるようになってきた。


ハウスのアルバムがノンストップでまとまっていることの意味
そこに見いだされる芸術性(あるいはテクニック)。
そしてその材料として既存の曲を使う意味。


世界は音にあふれていて
人は聴くのだ。
物語とは音であり
音とは背景である。
Listen


もちろん小説はすばらしいです。
見つけたら、是非手に取ってみてください。
そして10ページ、読んでみてください。


これがねぇ、よく行く本屋で平積みされていなくて
個人的には何で! って感じだったんだけど
たぶん前作の「アサッテの人」が、芥川賞のわりに売れなかったんだな。きっと。
平積みされてない新刊って、出ても気づきませんね
奇跡的に、他の本屋で暇つぶしをしていて、見つけました。


装丁がねぇ、売る気がないんじゃないかと思う。
「アサッテの人」と合わせたかったのは分かる、分かるんだけど
だってさ、「お兄ちゃん!」「不治の病」とかそういう小説だよ
そうやって売ればいいじゃんか。
本質がそうじゃなくてもさ、そう売ってしまえばよいのに。
アニメ絵とかさ、それがやだったら写真でもよい
100歩ゆずって、少女の肩越しに望む病院の窓からの風景でもいい。
帯には既に、アサッテ実践編って書いてあるんだから
前作好きだった人は、それだけで食いつくでしょう。


あんな変態な装丁の本、誰が買うんだよ。
もったいない。


  • ケヴィン・ブロッグマイヤー「終わりの街の終わり」

世界の終わり系には、手を伸ばしてしまいます。
後書きではケリー・リンクと並べられてたけど
こっちの方がよっぽど面白かったなぁ。


人であり、思考を描く小説にとって
舞台なんか何でもいいよ、ってのが最近のアメリカでしょうか。
いろんなメディアがある中での、小説の価値ってのが
本当の意味で確立されたなぁと、読み手としてうれしいです。


面白かったです。
最近映画を見ないのですが
素敵な映画に出会えて良かったです。