EMMA HOUSE のこと

携帯電話をなくしてから、待ち合わせに慎重な僕は
集合時間よりも1時間ほどはやく六本木に着いてしまい
仕方がないので青山ブックセンターで時間をつぶし
何しろ暇なので、普段読まない類の文芸書にまで手を出して
第二回の大江健三郎賞が決まったことを知り
棚を探したらその本があったので、せっかくなので買った。


時間が余ることはある程度想定していて
かといってクラブに行くのに大荷物もまずい
谷崎の春琴抄をポケットに入れて、読みながら電車に乗っていたのだが
何度も読んだことがある本だったし
もちろん何度読んでも美しい日本語から学ぶものは多いのだが
休日の空気と「学ぶ」の部分に齟齬が生じていて
まあ簡単に言うならば、読むのがめんどくさくなっていた。


買ったのは「岡田利規」という人の
「私たちに許された特別な時間の終わり」という本で
この作者は岸田戯曲賞を受賞しているらしく
つまり演劇の人で、詳しくは知らぬがおそらく演出もするのだろうけれど
こういう人が小説を書くと、物語を書くのではなく小説を書くので
つまり演劇でできない表現のフラストレーションをぶつけてくれるので
とは言っても、戯曲書く人の小説で良かったのって
いままで一冊しかないや
まあでも、その一冊が良かったので
僕はとても期待してそれを買った。いい本だった。


六本木ヒルズの入り口、というか僕が勝手に入り口だと思っている
道沿いにあるタリーズコーヒーでラテを買い、席に座った。
携帯がないので時間がわからず
待ち合わせに遅れるわけにはいかない、近くに時計を探したが
最近は街中に時計などないのですね
唯一見つかったのが、ビルの上部に設置された画面に映し出される
Yahoo!ケータイの宣伝動画、そこにおそらく5分に1回程度表示される時計で
その表示方法がとられている時点で、もはや時計としての意味を為しておらず
もちろん、それがあったことでとても助かりはしたのだが
僕は作り手側の、このコンテンツを作った人の上司のような気分で
時計を出す意味などない、ということをはじめ
たとえばニュースのテキストが1文字ずつ表示されていくという仕様
これだって、街頭エキシビジョンは瞬間的に見られるものなのだから
どの瞬間を切り取っても意味をなしていないとまずいだろうとか
まあ、どうでもいいことを考えながら、誰に対してなのかも明確でない
よく分からない不満というか、優越感というか
そういうのを感じていた。でも本を読みはじめたら実際のところ
そういった余計な思考は消え去ったわけだけれども。


ただ的確な時間を継続的に知る方法
それだけは消し去るわけにもいかず、一番簡単なのは間違いなく
近くの人に時間を尋ねることだ。
誰に話しかけたって、携帯電話におまけでついてる時計を
ほぼ確実に持っている。気まずい思いをすることはない。
ちょうど斜め向かいに、可愛い女の子がやってきて座る。
いや、実際可愛かったかどうかはよく覚えていないのだけれど
可愛くなくはなかったということと、iPodと思われる何かで曲を聴いていること
それからひとりでいるのに買い物袋をたくさん持っていて
なんつーかたくましいとか、そんな感想を抱いたような気もする。


そんで結果から言うと、話しかけませんでした。
話しかける理想の自分をかなりリアルに想像しながら
結局話しかけられませんっていう、僕はそんな肩の凝ることをよくするんだけど
よくよく考えたら無駄なパワーを使っていますね
まあそれでも、なりたい自分になるんだという夢や希望
みたいに言っちゃうとかっこいいけど、実際には単純な下心
それを無駄なパワーとか、そんなふうに定義したっていいことなんかない。


小説の舞台は六本木からスタートしていた。


六本木の夜、といっても8時ぐらいだったけれど
その雰囲気は、たとえば赤羽のそれとはだいぶ違っていて
透明感があって上昇形だなぁと、本を読みながら感じたのだが
それは遊びに来ている人たちの気持ちが
上昇形なのだからなのだろう、と都合良い定義のみ使って証明し
そのときはそれで満足していたけれど、実際には景観が7割
歩く人の服装が2割、気持ちが1割ぐらいの配分だろうと
今、これを書きながら思った。
それだって何の根拠もないけれど
もし共感してくれる人がいるならば、理論や根拠は必要ないと
常日頃から思っている、それをたまには行動に移してみるという
上の記述はその一環です。


小説の筋を説明しちゃうと、その筋によって本質が消えてしまうような
そんな小説なので、あんまり書きたくはないけれど
それだと知らない人にとっては全く何の情報もないことになるので
帯に習って簡単なあらすじというか、そういうのを書くならば
戦争中にラブホで4泊しますとか、そういう話が一部あったりもする。
もっとつっこんで説明するなら、まあここから先は読み飛ばしてもいいけれど
基本的に「捉え方」の話で
初対面の人をどう「捉える」か、初対面の人との関係をどう「捉える」か
酔った若者の集団を周りはどう「捉え」、その中で一人の男は街をどう「捉え」
そんななかで戦争について(戦争というのはブッシュのあれ)
かなり軽い感じで「捉える」、しかし無視ではなく「捉える」というのが
まあ小説の山場だったりもするのだけれど
とにかくそこで抱えている文章、の描き出す思考の流れ
そういったものはすぐに僕の中に入り込んできて、その日は一日
僕は「捉えて」ばかりいた。結果的にこれが、とても良かった。


待ち合わせの時間はすぐにやってきて、はじめは人数が少なく
共通の話題も少なく、何を話そうかということについて考えながら
まあ歩いていたような節はあるけれど、今となってはそんなのどうでもよく
飲み屋を出た頃には、もう何の気も遣っていなかったし
まわりはどうだか知らないけれど少なくとも僕はそうで
と、対外的には書きたいけれど、ちょっと嘘で、まあ少しは気を遣っていたけれど
それは本当に少しだった。
もっと話せばいいのにと言われたりは、した。
ここ数年で人と話すのが苦手になっているような
そんな節があって、それは比較すればという話で
むしろ昔は超得意、というか怖いもの知らず、というか無責任すぎた感じはあって
初対面の人と、特にもう会わないであろう他人と話すのが
楽しくて仕方なかったし、そんな昔の自分がうらやましくもあり
かといって今の自分が嫌いかというとそうでもなく
実際のところ、そんな難しいこと普段は特に考えてない。


で、なんやかやがあってYELLOWに到着した。


フロアにはほとんど人がいなかった
というかそもそも、フロア以外のスペースがあんなにでかいことが驚きで
はじめ僕らは少し体を温めるようにステップを踏み
僕はフロアの光景を、全体的にきれいだなぁと思って見ていた。
というのは嘘で、ある女性のことばかり見ていた。


来てから一瞬のうちに自分の世界に入り込んで、小さく体を揺らしはじめたこと
またその様が、なんというか格好良く
月並みな言い方をすれば絵になっていた。
たとえば自宅にこの音響設備があれば
そしてEMMAがやってきて私のために回してくれるなら
別にこんな場がなくたって私は楽しめる、と
そう思っていたかどうかは知らないが
少なくとも僕からは、そんなふうに見えた。


で、テキーラのロックを飲んだ。
何もかもが気持ちよくなるくらいに、酔っぱらってしまいたかった。


知らない人と騒いで、酒をこぼしたが気づかないふりをした。
大学生の頃みたいで楽しかった。


そこから先はほとんど個人行動で
僕は踊りながらも、どこかまだ溶け込めないというか
とにかく飲みたいけれど、飲んでしまうと吐くなぁとか
とにかく酔ったとき大抵そうなるように
繋がりたい感じ、エロい意味ではなくて
まあエロい意味だったら十分条件を満たしてはいるが
決してエロそのものという意味ではない、あの繋がりたい感じ
体を動かし、全体が熱を持っていくほどに
それが僕の体を満たしていた。


ふらり歩いてみたりした。
フロアが盛り上がっている様子は、フロアにいないほうがよく分かった。
一緒に来た女性がなんだか眠そうにしていて
そんで僕はちょっと話したりしたのだが
声を届けるために使わねばならない体力と喉メーター値は結構大きく
それで話すのがめんどくさくなったりした。
全然関係ないけれど、いま思えば結構、物理的に近い位置にいた。


正直このとき、ものすごく手を繋ぎたい気持ちでいて
この手を繋ぎたいってのは、あの繋がりたい地平に存在する感情で
つまりセックスとか全く関係ないのだけれど
手首を掴み、走り出し
フロアの前の方まで引っ張り出し
そんで意味もなく騒いで、疲れて、みたいな
そういうことをしたい気持ちでいっぱいだった。


だから手を繋ぐのは男性だって別に良くて
でもまあそれってちょっと気持ち悪いじゃん、みたいのもあって
相手が可愛い女性だったら、さらに気持ちがよいのは確実で
フロアに降りると、端にはパンツに手を突っ込んだりだとか
ディープキスだとか、そんなのばかりがいて
まあその気持ちも分からなくはないな、と思っていたところに
ダフトパンクが聞こえてきて
とにかく楽しまなきゃ損だとか、そんな気持ちになって
踊っているうちに、気づいたらかなり前にいた。


僕の前に、ひとりで踊っている白い服の女の子がいて
ぶっちゃけあまり可愛くなかった。
可愛かったら一人で踊ってなどいないだろう。
ただまあ、その子がとにかく気持ちよさそうに体を揺らしていて
近くにいるだけでシンクロしたとか、そんなんに近い感覚か
気づけばめんどくさいことを考えるのがめんどくさいという
もうただそんな感じで体を揺らしていた。


そのあたりでやってきた、大沢さんのOurSongがヤバかった。
確実なビートに刻まれる感覚。
確実なビートを作り出していく感覚。
繋がるとか繋がらないとか、そんなことは考える必要すらなかったのだ。
気づけば、ここで踊りつづけなければ
ビートを作り出し続けなければ、という義務感にすら駆られ
そこからはとにかく踊り続けていた。
何を考えていたかも、よく覚えていない。


自分のリズムで踊ること。
そのリズムが、確実に繋がっていること。


突如はじまる抱擁やディープキス、それすら
どこか高みへと向かっていく、そのための一段に思える。


ときおり放たれる光、それの作り出す静止画が
他人というものに関する記憶を強制的に上書いていく。


そしてやってきた
WE GOT THE LOVEの渦に飲まれた。
永遠に続けばいいのにと思った。


ここから先の話はあんまり書きたくないので、日記は終わりにする。
書きたくないって言っても、別に嫌なことがあった訳じゃなくて
よくある話なので、まあいいかという感じ。
会社の先輩が「俺は俺の流れでセックスする」
「おまえはおまえの流れでセックスしろ」と
ほんとどんな質問をしても、それしか言わなかったのは
ちょっとおもしろいエピソードというか、思い出で
普通の側に位置する、相当おもしろい思い出で
でも、この日記の趣旨とはあまり関係がない。


この日記の趣旨ってなんだろう。
捉えるとか、繋がるとかいうキーワードを散りばめては見たが
それは僕の思考の中に、ちょっと読み物としてまとめてやろう、みたいな
下心があったからだろうと思うんだけど
それはまあいいとして、僕が一番言いたいのは、あれだ。
今日の日のことを、いつまでも忘れないんだってこと。


そして、今日のようになれる当たりの日を探す飢えた気持ちで
とにかくクラブに足繁く通おうと、そう決めました。


パンツに手を突っ込みたいとか、そういう気持ちは全くないけれど
いや、全くないってのは嘘だな、いつだって少しはあります
でも少ししかない、そんな感じで
友人に声をかけて回ってみようかなと、いつになく積極的な気持ちです。
携帯ないけれども。