始まりのケーススタディ

インテリアにとって最も大切なのは、靴だ。どんなに整った部屋でも、脱ぎ散らかされた一足の汚い靴が、全てを台無しにする。だからといって、靴の収納にだけ金をかければいいわけじゃない。インテリアにとって靴と同等に大切なのが、統一感だからだ。
統一感とは、わかりやすさである。わかりやすさとは、単純さである。単純はシンプルであるがゆえに、研ぎ澄まされている。考えるべきことが少ないぶん、考え抜かれている。20の要素に1を足すと、考えるべき事柄は21倍になる。世界は複雑で満ちている。これ以上複雑を増やすべきではない。
わかりやすさとは、単純さである。単純さとは、靴である。最も根底にあるそれを、踏みつけ歩くことで、冒険者の影は国道の夕日に溶ける。
木を隠すなら森の中へ、と昔の人は言った。つまり真理の中に真理が書かれていても、残念ながら隠れてしまうということだ。だから僕は、ガラクタの中に真理を添える。ガラクタの山に飽いて真理に辿り着かなかったとしても、それでいい。なぜなら真理などクズだからだ。ガラクタだらけのこの世界。ガラクタ以外のものに、いったい何の意味がある?
かつて思いつきで、ガラクタを売ってみたことがある。白ワインの空瓶だ。逆さにし、インテリアとして飾ることで、いつ倒れるか分からない緊張感を生活にプラスする。9800円。もちろん、売れるなどとは思っていなかった。
このガラクタがぽつりぽつりと売れはじめたことで、僕はロストを実感した。カウンセラーたちは、このことを僕の妄想だと勝手に決めつけた。
あの頃の東京は、人口の半分がカウンセラーだった。カウンセラーたちから見て、僕は患者だったし、僕から見れば、奴らは気が狂っていた。
多くの企業が、専属のカウンセラーについていることを就職するときの条件としていたため、奴らは皆、社会的地位を確立していた。奴らは日常を分析することを執拗に求め、おかげで全ての人間関係はカテゴライズされてしまった。ロストと同時期に、カウンセラーは全員精神疾患で死んだので、東京はとても混乱している。
空瓶があまりにたくさん売れたので、生産が追いつかなくなった。生産といってもワインを飲むだけなのだが、毎日極限まで酔っ払っても消費できない程の量だった。ガラクタであることに意味があるので、捨てるわけにもいかない。友人のタケウチや、その恋人サンディにも手伝ってもらい、さらにサンディが仕事をしているストリップクラブで振る舞ったりもしたのだが、生産という名の消費は全く追いつかなかった。
仕方がないから、値段を100倍に上げた。注文は20分の1に減り、ワインはなんとか消費できる量になった。銀行口座には莫大な金額が振り込まれ、僕は東京に存在する金の9割が余っているんだというニュースを、はじめて信じることができた。
儲けた金で贅沢をしたいとタケウチに相談したら、金はあるほうじゃなくて、ないほうに流し込む方が社会のためだと言われ、僕らはサンディの店に行くことにした。首都高に張りつくように、いくつも設置されているストリップクラブへ、夕方のうちに向かった。これらの店の中から、狙ったところに入るのは、かなり難しい。そもそも狙って行くような店ではなく、渋滞で全く動かなくなった車を乗り捨て、近くの店に入るのが正しい楽しみかたなのだ。渋滞の原因が解消されるまで、数日間滞在しつづける宿のようなものだ。
サンディのような人気嬢とは、よほどの金を積まないと一夜を供にすることはできないのだが、そのとき僕が払った金額に対抗する人は一人もいなかった。本来は濃厚なセックスをするべき時間、僕ら3人はバカ騒ぎをした。ワイン以外の全ての酒を飲んだ。
タケウチが酔っ払って寝てしまったので僕はサンディと個室を出て、ステージを見にいった。客を捕まえ損ねたアンドロイドたちが踊っていた。皆、いつかどこかで見たアイドルと同じ顔をしていた。実在の人間をコピーする整形は法律で禁じられているので、彼女たちはこの店から出ることができない。
アンドロイドたちと比べて、サンディは決して可愛い女性ではない。それでも高い人気があるのは、タケウチのプロデュース能力が高かったからだ。彼は巨大インターネットサイトに三年間居座りつづけ、サンディを演じた。はじめは性別不明な存在として、次に女性であることを明かし、わざわざ写真がバレるようにしむけ、ビッチな私生活を徐々にさらけだし、そして死んだ。同時に死んだこと自体がフェイクであるという噂を流した。
サンディはメディアに取り上げられ、一時期有名になった。タケウチはその後も、噂が廃れないよう、ニュースを作りつづけた。大物政治家との密会場面や、ヤクザの愛人として集会に顔を出す姿、あるいはストリップクラブで働く娼婦としての写真などが、次々と出回った。
生死不明というミステリー要素も手伝って、サンディは有名になった。サンディ自身もこれを楽しんでいたので(ときどき精神的に参ったりもしたが、広義には楽しんでいたと言えるだろう)、計画はこれ以上ないほど順調に進んだ。彼女は気づいていなかったのだ。下着姿で股を広げた写真が出回ったことで、怯え続けなければいけない無数の影に。
もう死んじゃおうかな。ステージの下でサンディが言った。僕はその言葉を、何度も聞いていたので聞き飽きていた。
いつだって瞬間なのだ。それにも関わらず、人は連続性を拠り所とする。全て腐ったカウンセラーのせいである。僕だって常識という名のふざけたルールに縛られている。それは間違っている。
その夜、サンディを犯した。そういう瞬間があった。どことも繋がらない瞬間があった。アンドロイドたちは構わずストリップをつづけていた。射精し、2度目の射精をし、3度目の射精をした頃、夜明けがやってきた。
外に出ると、逆オーロラが強く輝いていた。この瞬間が、僕にとって、ロストのはじまりだったのだと思う。タケウチがあらわれ、全裸の僕らを見た。サンディの股を流れ出る精子を確認すると、彼は握りかかってきた。握り返したら首都高に倒れこみ、あっさり死んだ。
全てがどうでもよかった。全てが、どうでもよかったのだと、ようやく知った。