会話のある風景

私の職場はマンションの一室で
昼休み、リビングルームに集まってお茶を飲んでいると
まるで休日のようなのどかさだが
年令も性別もまちまちな私たちは、家族には見えないだろう。


介護員の亮くんなんかは
ふだん部屋に閉じこもって仕事をしている事務員のかすりちゃんに
この時間会えるのがうれしいらしく
もちろん口には出さないが、始終にやけている。
一方かすりちゃんは、彼の馴々しさにたぶん気づいていて
すました感じで軽くあしらっている。
そんな二人が、高校生らしくてとても微笑ましいのだが
主任はあまり快く思っていないらしく
帰りぎわ、亮くんにちくりと釘を刺していた。


二人の仲が、私たちにどう影響してくるのかは分からないが
なんにしても、この職場でいつまでも働けたらと思う。
そんな気持ちを、中村補佐にぽつりと洩らしたら
給料は徐々に減らされてるわけだし、実際仕事にはなんの進展もないし
上としては解散させたがってるんだと思うけどな、と言われた。
それでも私たち5人がここに残っているのは
他に居心地のいい仕事がないからだ。


そもそも介護員の私には、事務員の仕事がよく分かっていない。
中村補佐やかすりちゃんが、パソコンをカタカタいじっているのを覗き見ると
恐ろしく複雑な数式がチカチカ光っているので
勝手に仕事は順調なのだと思っていたが、そうではないらしい。
私と亮くんが介護している老人も、一向にしゃべらない。
これでは、クビにされても文句は言えない。


今日は昼休みが始まってから2時間も経っている。
みんな席を立とうとしないのは、戻っても仕事がないからなのだが
仕事をさぼっていることに、わずかな罪悪感を感じてはいる。
かすりちゃんが、何度目か分からないお湯を急須に注ぎながら、鼻歌を歌う。


きっと今は自由に
空も飛べるはず


それってかすりちゃんからしたら、だいぶ昔の歌じゃない?
私が聞くと、ナツメロですよと言う。
俺は中学生のとき、体育館に集まって、みんなで歌わされた覚えがあるよ。
全校集会だったっけ、中村補佐が笑う。
私もあの頃は、自分でCDを買うような年令ではなかった。


歌詞が思い出せない、という話になった。
きっと今は、の直前にどんな言葉が並んでいたか。
亮くんが、なんか「うー」みたいな感じに繋がらなかった?
とわけの分からないことを言うから
みんなますます混乱してしまう。
つまり、何で空を飛べるぞって思ったかってことだろ?
主任が無駄に理論的なことを言う。


これに中村補佐が乗っかった。
どういう状況だったら、空飛べるって思うかな?
愛の力とかじゃないんですか?
冷めた感じで言うかすりちゃんに向かって、亮くんが聞く。
かすりは恋をすると、そういう気分になるわけ?
別にそういうんじゃないよ。かすりちゃんは亮くんを見ようともしない。
たとえば、あの塔に登ったら、そういう気分になるのかも。
私が言うと、主任が返す。
実際、そうやって自殺する人も多いみたいだね。
それを聞いて、なんだか夢のないことを言ってしまったみたいで、恥ずかしくなる。


中村さんはどう思います?
かすりちゃんがいつものように聞く。
私たちは困ったことがあると、それが日常の些細なことでも
中村補佐に意見を求めるくせがついている。
ひとえに頼りになるからなのだが
今回のようなどうでもいい話でも、ついつい意見を求めてしまう私たちに
彼はいい顔をしない。
少し顔をしかめながら考えて、それでも中村補佐は誠実に答えてくれる。


前の職場はビルの高めの階にオフィスがあって
そこでも今と同じ仕事をしてたんだけど
仕事がうまくいかなくて、喫煙室の窓から外を見てると
ときどき鳥の群が、下を飛ぶんだよね。
それを見てたとき、空を飛びたいような気分だったかもな。


どんな喫煙室だったのか聞いてみると
いま考えれば、喫茶店にあるような椅子とテーブルとか、窓向きにカウンターとか
全部が木でできてて、丸みを帯びたデザインで
お洒落な場所だったのかも、と言う。
いい会社だったんですね、亮くんが言うと
主任は苦笑いして首を振る。
同じところに勤めていたことを、はじめて知った。


喫煙室ってイメージが強かったから、あの頃はお洒落だなんて思いもしなかったな。
ロスト前だったから、空や雲はきれいだった。
中村補佐が言う。
今も、空を飛べるかもって思ったりします?
私が聞くと、中村補佐は大きく伸びをして立ち上がりながら笑う。
むしろ今は、空を飛んでるような気がする、とつぶやく。


それを合図に、みんなは仕事へ戻る。
歌詞は思い出せないまま、思い出さないことも忘れている。


老人は、未だしゃべらない。
汚物を片付けながら、亮くんが続きを歌う。
ゴミできらめく世界が、僕たちを拒んでも
ずっと笑っていてほしい。
かすりちゃんにー? 聞くと亮くんは、そんなんじゃないですよと言う。
おじさん臭かったかなと、少し反省する。


内容がなんであれ、仕事を続けていることで
人間らしい生活を送っているような錯覚を覚える。
みんながそうではないだろうけど
私はそういう人間なんだと思う。


ロスト23の中で、私のような人間は生きやすい。
でも、それだけで満足ってわけじゃない。
誤解されるかもしれないけど、たとえば
中村補佐が私と同じ気持ちで、毎日を過ごしているのだとしたら
少し、悲しい。