ヴィラコスタ -記述者-


家族が寝静まったあとベッドに寝転がってこれを書いている。
書き終わるまでノートPCの電池が持つのか、少々不安でいる。
ベッドの上で叩くキーの音は意外に響き
隣で寝ている家族を
起こしはしないかということが気がかりだ。


来週はサンフランシスコに出張な上に
確定申告の期日も迫ってきている。
こんなものを書いている暇があったら
そういった事務手続きを、少しでも進めればよいのだが
人は追い詰められると、そこから逃げたくなるものだ。


つまり、この文章は現実逃避の手段に過ぎない。


もちろん、読み手が私のことを正しく想像する必要はない。
砂漠の中央に建てられた塔に住む
孤独な記述者だと思っていてもらってもかまわない。


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先日、とある演劇を見にいった。
いわゆる現代演劇で、一般的に「わかりにくい」と
形容されてしまうような内容のものだ。


私は非常に感動したのだが、同時に不親切さを感じた。
特殊な演劇で、特殊なことにチャレンジしているなら
表現の意図や、その見方について
説明してくれたっていいじゃないか、と。


演出した人間が、劇の始まるまえ、舞台に立ち
自分たちはこういったことを目的として
こういった表現方法にチャレンジしている。
だから、そういうつもりで見てほしい、と。


本に「まえがき」や「あとがき」があるように
演劇にそういったものがあったっていい。
なんなら巧妙に、劇の中に内包しておいてほしい。
私は川端や谷崎の読み方を、文庫の「解説」に教わった。
それによって読書体験が損なわれたとは、みじんも思っていない。


だから私は、この物語について
あえて積極的に語っていく。
この文章を、作品の一部と思ってもらってもいいし
作品とは全く関係のない「なかがき」だと思ってもらってもいい。
でも、たぶん読んだ方が面白いと思う。


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この物語では、一種独特な「空気感」を保ちたいと考えている。
そのため、人名をできるかぎり排除したい。
結果「男」やら「女」やらの表記が多くなってしまい
多少分かりにくくなるかもしれない。


現在までのところ、登場している人物は4人。
ウィスキーが好きな男、そのおまけのように登場したSP
吐いた女、それから何やら独白していたもうひとりの女だ。


次のシークエンスでは、ひとりの殺し屋と
それから回想シーンの中で、ポマードという仲間が登場する。
ポマードは、ハゲでサングラスを掛け
スーツを着込んだ黒人男性の殺し屋だ。


そして、これからも人物は増えていくだろうと思う。
理由は後述するが、わからなくなったころに説明するので
その点は、安心していてほしい。


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もうひとつ、ふたつめのエントリに出てきた
女の独白については、説明が必要だろう。


彼女は、このホテルの中でも特殊な立ち位置の人間で
物語のキーとなる女性である。
彼女の一人称は、若干特徴的なので
読み方に注意が必要だ。


まず、彼女はとてもゆっくりと話す。
だから、文章をゆっくりと読んでほしい。


なぜゆっくりと話すのか。
それは彼女が、ひとつの言葉を発したあと
「あなたの脳に浮かぶイメージ」を頼りに
次の言葉を探すからだ。


たとえば、何か一行の文章が書かれているとする。
それを読んで、あなたが何かを思う。
すると、そのイメージと会話するかのように
彼女は、次の一行を描きだす。


そうして、あなたの頭にできあがる
「イメージの蓄積」こそが
彼女の発したいメッセージなのだ。


だから、あまり速度をあげて読んでしまうと
ただの文字の羅列にしか見えないだろう。
申し訳ないが、協力して頂ければと思う。


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演劇を見にいったあと、友人と小説の話をした。
友人は映像作家であるためか
小説に関して、私と違った考え方を持っている。


彼には、小説の構造に対する疑問がある。
三人称で書かれた文章の、その人称とは誰か、という疑問。
自分がやがて書かれるかもしれない可能性
そして、そのときに記述しているのが誰なのか、という疑問。


そこにどうしても納得がいかなかった私は
ためしに彼と人格を交換してみてもらった。


人格を交換してみた、なんて書くと
大変なことをしたように思われるかもしれないが
たいしたことはしていない。
細かい方法を書くのはややこしいので省くが
とにかく、そういうことを試してみたのだ。


そのときに実感として驚いたのは
彼が(つまり人格交換時の私が)思いがけず
小説に対して距離を取っていたことだ。
対して、私は小説のすぐ目の前にいた。


そして、この距離感に正解はない、と感じ
ならば私も、構造について考えてみよう、と思った。


少々わかりにくい表現を用いていることもあり
今回は、構造について考える、最適な機会だった。
物語の中に、書き手を組み込み、その立場を明らかにすることで
記述者によって記述された物語、という事実を
認識してもらおう、と思ったのだ。


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ホテルヴィラコスタは、記述者である私の中にある。
登場人物も、私の中にいる。
つまり私は、この物語の神である。


しかし、万能なのかといわれると少し違う。
ヴィラコスタは静寂の空間であり
それ自体が物語を呼び起こすことはない。
そして、一度造形してしまった人物は勝手に動く。
私の望まぬ方向に、歩いて行ってしまう。


だから私に出来ることは、新しい人物を足すことと
ホテルの外側から強い圧力をかけることだけだ。