1Q84読了

読みながら考えたのは、1984年とは
どういう年だったろうか、ということだ。


ファミコンとディズニーランドが1983年。
ナウシカ1984年。
僕の父親は新しいものが好きだったので
ドラクエも、宮崎アニメも
スピルバーグも、ディズニーランドも
全て父親からもたらされた。


はじめての村上春樹はダンスダンスダンスで
それはなぜか家にあった。
読んだのは高校生の頃だ。


僕は1983年に生まれた。
つまり1984年には、物心ついていなかったわけだけど
このあたりの年代で生み出されたものが
自分を形作ってきたという実感はある。


やがてノストラダムスの大預言と
オウム真理教の時代がやってくる。
世界の終わりが近づく中で
僕は、徐々に自我を形作っていった。


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前置きが長くなったけれど、1Q84の話だ。
いまさら村上春樹の作品を語るのも恥ずかしいところがあるけど
(大学のときにさんざんやった)
でも、語っておくことに価値はあると考える。
というか、今さら自分のあり方を変えるのは難しいから。


評論をする力はないけれど
感想を言うことぐらいは出来る。


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まず冒頭の数章に驚かされる。
高速道路から降りるところからスタート。
つまり、いきなり1Q84に飛ばされてしまうわけで
今までの作品にはないほど展開が早い。


天吾の側もそう。
新人賞をでっちあげるなんて、いかにもありそうな話だ。
しかも、エンタメとしての質が高い題材でもある。
先が気になって仕方がないし
あっという間に引き込まれてしまう。


でも、スピード感は感じない。
むしろ今までよりもゆっくりと、現実からシームレスに
そこへと向かっているように感じられる。


このシームレス感こそが
この作品で一番重要になるところである。
そもそも、それ自体を
書こうとしている作品であるとも言える。


筆力によってもたらされる
村上春樹の新境地だ。


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もうひとつ、新しい筆の力を
強く感じた部分があった。
平家物語のシーンと、ギリヤーク人のシーンだ。


あのシーンに置いて、引用に強い意味はない。
もちろんあとで象徴的に扱われたりはするが
少なくとも、あのシーンに置いては、ない。


あの長い引用を読みながら僕は
ふかえりと共にいた。
その息づかいを感じていた。


映画的な演出だ。
それを文章によって可能にしたのは
本当に、筆力としか言いようがない。


そして、このテクニックは
猫の街へと繋がってゆく。


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Book1の中盤を超えたあたりから
加速度が急激に増してゆく。
こうなると、もう本を手離せない。


もしあのとき、夜空を見上げたら
月はふたつ、浮かんでいたのかもしれない。


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あたりまえだが、善悪の物語ではない。
それはリトル・ピープルについての絵的な印象や
リーダーの、筋の通った言葉(ラスボスでありながら、まるでゾシマ長老だ)
老婦人の宗教的言動(あれはポアだ)などによって
いっそう強調されている。


均衡こそが善であるという作中の言葉は
あの作品の軸となるのだろうか。
あるいは、全く別の答えが見いだされるのか
あるいは、答えなど導き出さずに終わるのか。
(僕は続きがあると信じて疑っていない)


マザであり、パシヴァであるふかえりは
現在、何を「知覚」しているのか
反リトル・ピープル的なモーメントとは何か。
それは均衡を導き出そうとする、何かからの言葉なのか。
それは「神」と呼べる何かからのメッセージなのか。


そして、レシヴァとしての役割もまた
空気さなぎを書き直すだけで
終わって良いはずがない。


神は与えたことを覚えている。


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この物語は、カルト宗教を描いた、と
要約されるのであろう。
でも、それは間違っている。


この作品は(少なくともBook1, Book2では)
カルト宗教を、全く描いていない。
ただ登場させただけだ。


人によっては「愛の物語」と
呼ぶのかもしれない。
それも間違っている。


あれは愛じゃない。
まだ、成長物語に過ぎない。


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リトル・ピープルに憑かれるとはどういうことなのかが
描かれなければならない。
リーダーがどのように、宗教化の道を辿ったのか
それは詳細に描かれるべき物語だ。


ふかえりが描写されなければならない。
レシヴァについて描かれる必要があるように
パシヴァについても、描かれる必要がある。
個人的にはアザミがどういう人間なのか、とても気になる。


青豆は、人を殺すということについて
もう一度、ニュートラルな視点から
見つめなおさなければならない。
なんせ、主役級の登場人物なのだから。


そしてふたりは、愛に疑いを抱かなければならない。
それは大の大人が抱く感情としては
あまりに単純化されすぎている。


そして何より、ふたりは出会わなければならない。
高島屋の屋上で、雨の中、抱き合う必要がある。
強く。


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僕の頭の中では、天吾と青豆が
さっそく会話を始めている。


「つまりあなたは、ふかえりと寝たっていうのね。
 そしてあなたは、ふかえりに好意を抱いていた。少なからず」
「仕方がなかったんだ」
「ねえ、私が悲しむかもしれないって考えなかったの?」
「でもそのときは、君に会えるなんて夢にも思っていなかった。それに君だって…」
「それとこれとは話が別なのよ。意味合いが全然違う。
 昔は頭が良かったのに、なんでそんなに簡単なことが分からないの?」


ふたりは同じ道を歩むのだろうか。
それとも、別々の道を歩むことになるのだろうか。


あるいは預言通り
どちらかが失われることになるのだろうか。