db!

髪型を変えてばかりいる。
そういうヤツは、信用ならねぇ。


俺がそうだ。


はじめて銃を握ったのは1992年の夏、まだ9歳のころ
だった。全部分かってた。安全装置の外し方も、標準
の合わせ方も、それから撃った瞬間にかかる反動の力
も全て。にも関わらず撃たなかったのは、親父が恐
かったからだ。まだ50歩に1回は転んじまうようなガキ
だった俺にとって、ヤツは世界の代表であり、そして
力だった。力が強かったとか、力の象徴だったとか、
そんな生易しい話じゃねぇ。力そのものだったんだ。
それは、たとえ俺の持っていた銃の先端が親父の脳を
3センチ先に捉えていたとしても、決して変わること
ない事実だった。殺そうとしている相手が恐くて引き
金を引けず、生まれた瞬間から抱きつづけていた怨み
を結局はらせなかったってわけだ。銃は河原に捨て
た。そのことがバレて親父は誰だかに疑われ、ない口
を割らせようと散々に痛めつけられ、死んでコンク
リートに詰めにされ、掬ったらそのまま凍っちまうよ
うな冷たい海に投げ込まれた。死体は流されてバ
ミューダ海域に到達し、冗談みたいなスケールの裂け
目から地球の中心に一番近い場所まで落ちていき、そ
こでひっそりと暮らしてる恐竜の生き残りに、粉々に
噛み砕かれちまった。
半分は真実で、半分は俺の希望だ。だとしても、ち
びっ子がトラウマを抱くには十分すぎるエピソードだ
ろう?
かくして俺の家は、いわゆる母子家庭ってやつになっ
た。誰もが侮蔑半分、同情半分の気持ちで見るカテゴ
リーに分類された。もちろん俺は、状況を自ら卑下す
べきじゃないってことが分かるだけの知恵は持ち合わ
せてた。つまり、いまだに俺自身を悩ませている性格
的欠陥ーー劣等感とそれを隠すためのプライドーー
は、この時期に形成されたってわけだ。
俺は生きることに必死だった。まあそれは新聞配達の
ために自転者をこぎまくるとか、そういった類いの
「必死」なわけだけど、世の中には恐ろしいくらいに
金持ちなやつもいて、金に関しては一切の不安を抱く
必要がない中でも、やっぱり必死に生きてるやつはい
たりする。それが、俺の嫁だ。
俺と嫁は、全てが違う。俺が金を基準に未来を考える
のに対して、やつは心的充実を基準としている。その
心的充実ってのが俺にはうまくイメージできないし、
一方で嫁は、金のことがうまくイメージできない。俺
クルトンやらトリュフやら、質量のない食い物の価
値が全く分からないし、やつはポテトチップスのダブ
コンソメ味を、あろうことかしょっぱすぎると言い
やがる。コンビニには行かず、缶ジュースも買わず、
そして俺の月給と同じ金額のミュールとやらを平気で
買う。
それは玄関にひっそりと置かれていて、履いてはいる
のだろうが、一向に汚くならない。扱い方が極上なん
だろう。かといって大事に使うことに強いこだわりが
あるかというと、そういうもんでもないらしく、一度
下水の通る金網にヒールを突っかけて折っちまったと
きも、特に残念がる素振りを見せず、いつかは壊れる
ものだからと哲学的なことを呟いた。さらに驚くべき
ことに、次の日には綺麗に治って、玄関に置かれてい
た。世の中には極上のものを極上のテクニックで治す
店が、いくつか存在してるらしい。
やつは飯を作るのもうまい。冷蔵庫には政府の高官が
何年かかっても思いつけないような計画性で食料が収
められてて、余らせて捨てちまうようなことは一度も
ない。一ヶ月に一度は、とんでもなく高級な店で、な
んたらの煮込みやら8000円のワインやらを飲む(嫁を
信じるなら、ワインはこれ以上値段を上げても味に差
がないらしい)。それも、俺の給料でだ。どうやって
その金を捻出してるかは、まるで見当もつかない。
嫁と過ごして気づいたのは、品位と金は全く関係がな
いということ、しかし品位を育てるのは間違いなく金
だ、ということだ。嫁の父親は使いきれないほどの金
を持っていた。用途が明確でありさえすれば、娘にい
くらでも金を与えた。そうやって育てられたことで、
彼女は金に全く価値を感じなくなった。だから、金の
ために人さえ平気で殺す父親のことが、全く理解でき
なかった。
俺の劣等感とプライドは、嫁の父親が人を殺すその行
為に、卑しく共鳴しやがった。だからこそあいつの下
で働き続けることができたわけだが(あいつは命じる
だけ、実際に手を下すのは俺、というわけだ)、嫁に
出会い、人を殺してまで金を手に入れることの虚しさ
に気づいたときには時既に遅く、俺はシステムから抜
け出せなくなっていた。
最初に殺意を抱いたのは自分の父親に対してだった
が、最後に殺意を抱いたのは嫁の父親に対してだ。星
の数ほどの人間を殺したが、心から殺してやりたいと
思ったのは、この二人だけだった。できすぎた話だろ
う? だが俺は、このドラマチックに過ぎるはじまり
と終わりの、美しさを信じた。人生のあり方を整理し
たわけだ。俺を捉えた闇の入り口と出口、そして愛す
る嫁によって救われ、俺の中の悪は残りの人生で、少
しずつ浄化されてゆくのだと。行き着く先が地獄で
も、そこに階層があるならば、大声で叫べば天国の嫁
に、声が届くくらいには上にいたい。
嫁は俺が人を殺していたことを知っているが、自分の
父親を殺したのが俺だということだけは知らない。遺
体で発見されたことを伝える電話をとったとき(この
とき既に嫁は実家を逃げ出しており、俺たちは同居し
ていた)、あの人は生きていてはいけない人だったの
よ、と嫁は呟いた。悲しかったのか、辛かったのか、
まるで心が動かなかったのか、それは分からない。目
の前にいるのが父親を殺した人間だと知ったら、いっ
たいどうしただろう。
俺は嫁が好きだ。だが嫁が、セブンイレブンの雇われ
店長の娘だったらどうだったろう。嫁は、嫁自身が
もっとも憎む行為である殺しが生み出した、金によっ
て育てられた。金がなければ彼女は彼女であり得な
かったというパラドックスに、まだ気づいてはいない
だろう。
という少々複雑な事情を抱えちゃいるが、今の俺の生
活は至ってシンプルだ。朝起きる。コーヒーを淹れま
くる。寝る。殺しで稼いだ金を元手に、都心でビルの
地下一階を借り、そこでマスターなんて呼ばれなが
ら、喫茶店を開いているってわけだ。金曜と土曜の深
夜はカクテルを出しながらレコードを回す。バカども
が集い、俺のDJになんやかや文句を言って帰ってゆ
く。嫁はちょっとしたつまみを作る。これが極上にう
まい。おかげさまで真っ黒とは言わないまでも黒字運
営を続けられ、家賃も滞納することなく、なんとか生
きてきた。そんでもって、すげぇ幸せだった。
だけど俺みたいなカルマ値の低い奴が、いつまでも幸
せに生きていけるわけがない。ある冬の寒い日、朝起
きると、いつも俺の隣で寝息ひとつ立てず転がってる
はずの嫁が、いなかった。ご想像の通り、それ以来俺
は嫁に会っていない。置き手紙も事件性も負の感情
も、全く残さずにあいつは消え去っちまった。きっか
けと呼べる出来事を探せばキリがないが、そのどれも
が失踪という事実の大きさにそぐわない。あるいは水
滴をグラスにため続けた結果、ある何でもない一滴に
よって表面張力が破られたのかもしれない。
なんにしても、俺にとってはありえない出来事だっ
た。少なくとも、大富豪の音楽プロデューサーTKが、
借金まみれになって詐欺やって捕まるくらいには、現
実味のない出来事だった(嫁が失踪したとして、その
ことを100%否定できる夫など、この世に存在する
のだろうか)。


吉原は週末の客だ。おっぱいの大きな女で、その胸が
ブラを外したときに垂れるのか張ってるのか、俺とポ
マードはどでかい金額を賭けあっていた。その賭けの
結果は3Pによって明かされるべきだとポマードは言
い張り、そのためにたゆまぬ努力を積み重ねていた
が、実際のところ俺は吉原の首から上とヘソから下に
一切興味がない。ちなみに吉原というのは彼女がソー
プ嬢だからと俺たちが勝手につけた、ただの識別名称
で、ポマードってのは日本語が達者な黒人の大男、昔
からの友人だ。
嫁と俺がはじめて出会ったのはポマードに仲介されて
のことで、そんとき二人は付き合っていた。結果的に
俺が奪い取った形になるわけで、そのことについて恨
まれるんじゃないかと俺も嫁も不安に思っていたのだ
が、ありがたいことに大雑把な性格らしく、おかげさ
まで親友ってやつを今も続けさせてもらってる。
そんな事情で、ポマードは今回の失踪をまるで自分の
身に降りかかった悲劇のように感じてくれていて、た
ぶんそのせいなんだとは思うが、最近よく店にくるよ
うになった。
さて、ひとつ戯言を挟ませてくれ。くだらないと分
かっていながら、言わずにはいられないことがある。
ポマードのペニスはでかい。黒光りしていて、俺たち
日本人からすると残酷性すら感じてしまう存在感があ
る。なんでそんなことがわかるんだ、いつ見たんだっ
て疑問が沸いてくるかもしれないが、その話はとりあ
えず置いておいて、何が言いたいかっていうと、つま
り、かつて奴のペニスが嫁を貫いたってことだ。そん
でもって嫁が、どういうふうに喘ぎ、どんだけ壊れた
のかってことだ。
この思考の先はどん詰まりだ。答えがないことは既に
分かっている。ただ、どうしても言っておきたかっ
た。本筋には全く関係ない話だから、無視してもらっ
てかまわない。
話を先に進めよう。
嫁の失踪から三ヶ月後、金曜深夜のクラブタイムに事
件は起こった。俺とポマードと吉原はDJブースでコロ
ナビールを飲んでいた。ポマードは手についたライム
を吉原の太ももにこすりつけていた。俺はニンテン
ドーをプレイしながら、もう30分くらいEVERYBODY
FREAKIN'を流し続けてた。いつも通りだ。だがそんなか
に、いつも通りじゃねぇ臭いの服がチラチラと見えて
やがった。私服警官だ。もう何度もお世話になってる
おかげで、その周りに漂ってる空気を吸うだけで吐き
気がしやがる。
だが、その日はセーフなはずだった。ヤクはごっそ
り、奥の奥にしまってあり、まだ一度も出していな
かったからだ。だからのうのうと構えてた。奴が半径
50センチ圏内に入るまでは、気づかないふりをしてニ
ンテンドーに熱中しているつもりだった。
そいつは案の定、俺たちの方へ近づいてきた。いや、
俺の方に近づいてきていた。いま思い返せば、ポマー
ドに微塵の注意も払っていなかったことに、すぐ気づ
くべきだったんだ。結局俺は、目の前に迫ったクソ野
郎に手錠をかけられる瞬間まで、いつもと違うことに
気づけなかった。
一瞬にして俺の全身は後悔の念で満たされた。だがそ
の後悔は、野郎の発した一言でそっくりまるまるべつ
の感情に書き変わる。
奥さんを殺害した容疑で、逮捕させてもらいます。
ふざけんなと逆上しようとしてやめた。証拠はなんだ
と問いつめようと思ってやめた。殺すわけがないと説
明しようとしてやめた。すべてを拒否したいような気
持ちの中に、ひとつの疑問が残った。嫁は死んだの
か?
嫁は死んだのか? と口に出して聞いた。その自分の
声を自分の耳で聞いて、なんだか知らねぇが涙がでそ
うになった。くわしい話は署で、そう言われて、俺は
付いていかざるをえなかった。野郎が怪しいなんて可
能性は全くもって頭をよぎらなかった。だって、そう
いうもんだろう?
男に腕を引っ張られて立ち上がる。ポマードを見る
と、吉原と史上最低にディープなキスを交わしていや
がった。このクソ野郎。


ポマードとはじめて仕事をしてから、もう十年にな
る。俺たちは出会った瞬間に盟友になるという確信を
得たし、実際その通りになった。共に何人もの男女を
あの世送りにした。反吐が出るほどムカつく仕事もあ
れば、センチメンタルな気分になっちまうような仕事
もあった。たとえば捕まえたやつが、自分のしたこと
の重大さをはっきり認識しているようなとき(つまり
死から逃れられないという事実がきちんと落ちている
場合)、俺たちは天使のような優しさでぶち殺して
やった。ささやかな望みなら息を止める直前までに、
全部叶えてやった。それは、ポマードと俺との暗黙の
了解だった。
たとえばある日、俺たちは女をトラックの荷台に載せ
て、廃道となった高速道路を疾走していた。ポマード
は事件をややこしいエリアに持ち込みやがったお嬢さ
んに対して悪態をつきながらも、いつも通り丁寧なハ
ンドル裁きを崩さなかった。女は始末しなきゃなら
ねぇ事件関係者のうち最後のひとりで、すげぇ美人
だった。適度なおっぱい、適度な肉、太ももはかぶり
つきたいくらいうまそうで、実際ポマードがいなかっ
たら、かぶりついちまってただろう。ぶっ殺したらそ
の直後に、ミニスカートの中に手を突っ込もうと、そ
ればかり想像していた。
いくら運転が丁寧とはいえ、ゴツいトラックの席は俺
たちのケツをジリジリと痛めつけてきやがった。もう
耐えきれねぇと言うと、ポマードは即座にブレーキを
かけ、俺たちはハイウェイのど真ん中に降りてタバコ
を吸った。女はいいケツをこっちに向けて、荷台に寝
転がってた。呼吸にあわせて肩が動いてたから、寝た
ふりをしてるってことはすぐにわかった。たぶん顔を
見られたくなかったんだろう。俺にもなんとなく、そ
の気持ちは分かる。
このへんなら、真下には砂漠と岩肌の中間くらいの土
地が広がってるんだろう。地上はだいぶ遠かった。星
がやたらいっぱい見えた。月は穴みてぇに明るかっ
た。そんな舞台での話だ。
しばらくして、女がケツを向けたまま言った。どうせ
やるんでしょ。やってもいいよ。俺はその瞬間に同情
した。たぶんこいつは生まれもった美貌のせいで、死
の直前でさえセックスについて思いを巡らせなきゃな
らねぇっていう、どうしようもねぇ宿命を背負っち
まったんだ。こうやって同情しながらも、ピコピコ反
応してやがる俺のペニスくらいに、どうしようもねぇ
宿命を。
俺は何も言えなかった。だがポマードは全く対象的な
セリフを吐いた。
やりたいのか?
つまりこういうことだ。女はやってもいいと許可をだ
した。ポマードは、あんたがやりたいんなら、やって
やる可能性について考えなくもないぜ、と切り返し
た。もちろん女は黙った。当然だ。地球が回転しはじ
めてから今の今まで、この国宝級のケツを自分から振
るなんて行動をとる必要なんてこれっぽっちも、ある
はずがなかったからだ。
ポマードは時計を見て、言った。今は二時だ。遅くと
も四時半までには殺す。残りは二時間半。二時間半で
全部消える。意識も、認識も、それからもしお前がい
ま感じているんだとしたら、恐れも悲しみも希望も全
部だ。体はまぁ、少しは存在しつづけるかもしれねぇ
が、すぐサメだのなんだのに喰われて消えちまう。ゼ
ロだ。女は相変わらずケツを向けていた。そのケツ
は、なんかしか感じ入ってるように見えた。
席に乗り込んでオンボロにエンジンをかけると、さっ
きまで寝ていた女が、後ろのガラスをガンガン叩きや
がった。ポマードが目で合図をしてきたので、俺は自
分の乗ってる助手席のドアを開けた。ポマードは女に
向かって言った。何しにきた? 女が返事をする。何
しにきたんだろうね。バカじゃねぇのか? とポマー
ドは冷たく言い放つ。何度も言わせるな、てめぇはす
ぐに死ぬんだ。今すぐ消え去る人間が、ないプライド
を張るなんて、おかしいとお前は思わねぇのか? い
いか、お前は死体だ。すぐに腐る。そのケツも胸も唇
も、あっという間に腐っていくんだ。言い換えるな
ら、てめぇの価値はゼロってことさ。抱かれたいなら
頭をさげろ。それができなきゃ、黙って荷台に寝転
がってろ。
女は涙を零した。その姿は、俺にとっちゃあ価値ある
絵だった。その唇は、抱いてください、と動いた。こ
の抱いてくださいってのはおそらく、儀式のための呪
文みたいなもんで、ペニスを突っ込んで欲しいという
よりは、もっと大きな意味で、自分という人間そのも
のをずたずたに引き裂いて欲しいっていうことの暗喩
みたいなもんだったんだろうと俺は解釈している。そ
のまま長い時間、女は泣き続けていた。やがてポマー
ドは、優しく語りかけるように言った。服を脱げよ。
お前が思う、一番いやらしいやりかたで、一番いやら
しい格好になるんだ。
女は震えながら服を脱いだ。立ったまま、まずパンツ
を膝まで下ろし、それから上着を脱いでキャミソール
一枚になり、ブラのフロントホックだけを外すと、ス
カートを地面に落とした。体の震えは気の毒なレベル
にまで達していたが、ポマードは何も言いやしなかっ
た。そのまま永遠みてぇな三十秒をたっぷりかけて脱
ぎつづけ、最後に少しだけ迷ってから肩に引っかかっ
たままだったブラを地面に落としちまうと、靴と靴下
を別とすれば、膝に中途半端に引っかかって丸まった
パンツ以外、全てを脱ぎ去った状態になった。
手をつけ、ポマードが言うと女は、ガードレールに一
番いやらしいやり方で手をついた。わかるだろう?
ケツの穴が見えるか見えないかギリギリの、何かを
待っているあの姿勢だ。その何かってのはペニスじゃ
ない。回りくどい言い方はしたくねぇが、何かとしか
言いようがない。大きくて固く、受け入れちまったら
手放すことはできず、すげぇ暴力的な力で押してく
る、その力で自分が前に進むのか、ふたつに裂けちま
うのかは分からないが、ただ後退は許されない、そう
いう未来の可能性を指し示すような、まあ説明が長く
なっちまったが、そんな何かだ。
こういう話をするときに、言葉ってのは全く意味が
ねぇ。だが、ギリギリの状況で、何かを捨て、何かを
得るという決断をしたことのある奴だったら、この感
覚は一発で共有できるはずだ。そしてポマードと俺と
の絆は、そういう絆だった。
だから、俺は既に知っていた。ポマードは最悪の救い
を与えるという、スリリングなゲームを開始したの
だ。
ポマードは女をその場においたまま、アクセルを踏み
込んだ。俺らはどんどん加速して、女はどんどん小さ
くなった。豆粒みてぇになった女が、そのままの格好
でいたのかこっちをふりむいたのかは分からない。あ
いつを殺さずに見逃したことがバレたら、確実にヤバ
いことになる。だが俺たちはその恐怖を感じるより先
に、痛快でしかたがなかった。
どこか目立たないところで、目立たないように生きつ
づけていてくれるといいな、俺は言った。すぐに身を
投げるかなんかして死んじまうかもな、ポマードは
言った。どちらの可能性にも、真実味があった。


この逸話は、俺にいくつかの事実を教えてくれた。プ
ライドを捨て去っても人は死んだりしない、というこ
と。それからポマードのペニスはでかい、ってこと
だ。


嫁は死んだのか、そればかりを考えつづけていた。乗
せられた車はやけに静かだった。本当に進んでいるの
かすら疑わしい。少しくらい揺れてくれるほうが、前
に進んでいるという実感を得やすい。

嫁を愛していたのは事実だが、浮気をしたことはあ
る。あれは組織が変わってゆく渦中の出来事で、俺た
ちは波に飲まれるように愛しあった。全ては一瞬では
じまり、一瞬で終わった。そんでもって右手の指にあ
の匂いだけが残った。よくある話だ。
俺は組織において、旧体制の代表みたいな立ち位置に
いた。そんときのボスは爺ちゃんで、よくボケたフリ
をして俺たちを困らせた。殺しの順序やら方法やら、
時に誰を殺すかまでも、俺たちに任せてくれた。そし
てどうしても言わなきゃならねぇような説教の種を見
つけちまったときにだけ、心底嫌そうに怒った。組織
の仕事内容に全くもって似合わねぇほどの、平和主義
者だったってわけだ。
俺も、それからポマードも、爺ちゃんのもとで楽しく
やっていた。ボスが上下関係やなんやかやについてう
るさく言わなかったおかげで、上にのし上がることも
できた。上に行きたくてたまらなかったってわけじゃ
ねぇが、気に食わねぇ奴の下で働くよりは百倍マシ
だ。
だが、しばらくしてボスが入れ替わった。カリフォル
ニアからバカでかい奴らを引き連れてやってきたそい
つは、爺ちゃんを説得して、その座から引きずり下ろ
した。平和主義者の爺ちゃんは、特に抵抗しようとし
なかった。ただひとつ、めんどくせぇことに、他の組
織との談合で決められているボスの任期ってやつが
あったせいで、実質の支配権を譲っても、アジトの鍵
だけは爺ちゃんが持ってなきゃならなかった。会議が
あるときだけ、爺ちゃんはアジトにやってきて、鍵を
開けた。会議が終わると、閉めて帰った。まるで管理
人だった。
俺は爺ちゃんの無様な姿を見て、カリフォルニアボー
イをぶっ殺す計画を立てた。だが、ポマードに止めら
れちまった。あいつは新体制でうまいことやっていた
のだ。その上、今までは間違ってた、これが組織の正
しいありかただ、なんてほざきやがった。
心底ムカついた。だが俺にとってポマードとの友情は
かけがえのないものだった。爺ちゃんより、ずっと大
切だった。仕方ねぇから俺は、ポマードの言葉を飲ん
で、計画を取り下げた。賛同してくれてた爺ちゃん派
の奴らは、俺を口々に罵った。暗殺しようとした奴ま
でいた。もちろん、カリフォルニア派の奴らも、俺の
ことをこころよく思っちゃいなかった。窮地に立たさ
れたってわけだ。
そんなとき、俺を救ったのは爺ちゃんだった。旧派閥
の奴らを鶴の一声で黙らせ、おまけに新派閥のブレー
ンと裏で引き合わせてくれた。俺は爺ちゃんを裏切っ
たのに、なんでそんなことまでしてくれたんだと、バ
カなことを聞いたら、爺ちゃんは、俺が可愛いからだ
と笑いながら言いやがった。バカバカしい話だろう?
そんときのブレーンが、俺の唯一の浮気相手だ。あい
つは爺ちゃんに対してもある程度の理解があり、さら
に俺の実力をすげぇ認めてくれていた。俺もまた、あ
いつの実力を、すぐに認めざるをえなかった。
はじめてふたりで会ったときは、ナチュラルメイク
で、可愛らしい目玉をクリクリさせながら、心の底か
ら尊敬の念を抱いてる口調で、俺に話しかけてきた。
だが会議の場では短く美しい黒髪をなびかせ、キリッ
と引かれたルージュ眩しく、がたいのいい男どもを命
令ひとつで黙らせた。殺しの依頼が入ってから三十秒
後には必ず、作戦を組み立て、必要な連絡を全て終え
ていた。それが新体制のやり方だった。
そんなやり方で事を進めてると、下にいる奴らはバカ
ばっかりになるんじゃないかと思っていたが、そんな
ことはなかった。いつでもブレーンになれるような奴
がゴロゴロいた。間違いだと信じて疑っていなかった
新体制のやり方に、問題は全くなかったわけだ。
あとでそのことを、正直に爺ちゃんに伝えた。悲しい
顔をされるとばかり思っていたが、爺ちゃんは意外そ
うな顔ひとつせず、笑いながら俺の話を聞いていた。
そして全部聞き終わったあと、一言だけ口を挟んだ。
ただ俺は、そういう締めつけられた体制に反発するよ
うな、お前みたいな奴が、単純に好きだったんだよ。
正しいとか間違ってるとか、そういう話じゃねぇん
だ、と。
そんななか、俺とあいつは愛しあった。俺を新体制に
組み込むことを提案したブレーンが俺とできてたなん
て知られたら、全部ぶち壊しだってことはよく分かっ
てた。爺ちゃんの顔に泥を塗るってことだって、よく
分かってた。嫁を裏切ることは言わずもがな、嫁を
譲ってくれたポマードだって裏切ることになるんだ
と、きちんと認識してた。だが、止められなかった。
それだけ本当の愛だったのかもしれねぇし、ただバカ
だっただけかもしれねぇが、なんであれそれは、今ま
でないくらいの高温で燃え上がり、一瞬で消えた炎
だった。
体を重ね合わせるのはいつも、死体の側でだった。俺
がターゲットを殺し、あいつがそれを確認して死体処
理班に連絡し、彼らがたどり着くまでのわずかな間、
それだけが、俺たちが正当な理由の元で一緒にいられ
る時間だった。ズボンを脱がして下着を引き剥がす
と、いつだってそこは濡れまくっていた。匂いが鼻を
かすめると、その瞬間に俺のペニスはいきり立った。
だいたいはバックで、突っ込んで、腰を動かし、その
まま放出した。三分もすれば、全てが終了した。
危険をおかしてまで、その三分間を得ようと思った自
分、放出する場所がないという理由で膣の中に精液を
隠した自分、喘ぎ声を上げることもできず、ただ腰を
差し出していたあいつ、足がつりそうな体勢で快楽を
貪りあったふたり、その全てが、今になってみると、
はっきりいって意味不明だ。そこまでして得ようとし
ていたものが純粋に快楽だけだったなら、本当にバカ
としか言いようがないし、それ以上の何かがあったと
したならば、今はそれを忘れちまったってことにな
る。
それを寂しいと感じたい。だけど何を拠り所に、その
感情を掻き立てればいいのやら、さっぱり分からな
い。
かつてあって、今はないもの。

精液の詰まった膣にパンツで蓋をしながら、あいつは
言った。こうしてるとき、奥さんのこと考える?
俺は嘘をついた。
あいつは目にわずかな涙を浮かべ、五回ほどまばたき
した。

あいつはポマードに殺された。爺ちゃんのためと言っ
てはいたが、実際のところ爺ちゃんに恩を感じている
俺のためだったんだと思う。ほぼ同時刻に同士たちが
他のブレーンも殺害したのだと、ポマードに知らされ
た。カリフォルニア野郎は一瞬にして、勢力の拠り所
を失い、失脚した。まあすぐにナンバーツーが現れて
体制自体が崩れることはなかったのだが、そんなのは
どうでもいい話だ。愛の炎は死体を見た瞬間に消え
去ったが、せっかくなので死姦しておいた。
精液ってのはよほど念入りに洗わない限り、カピカピ
になって膣の中に溜まり続けるのだという。たぶん薄
い膜が何重にも重なって、地層のようになっているん
だろう。
今も愛しているかと聞かれたら、答えはノーだ。だ
が、精液の堆積を脳内に思い描くとき、俺を支配する
この感情は何だ?


俺を店から連れ出した車は、やがてエレクトロ領へと
向かっていった。そんときはじめて、バカな過ちを犯
しちまったことに気づいた。嫁がどうのこうのって話
は真っ赤な嘘で、奴らの目的は、俺を拉致すること
だったに違いない。
おいエレクトロ、と運転手に声を掛けた。お前が嫁と
何の関係もないってことはわかった。俺がまんまと騙
されたってこともな、わかった、認めよう。だがな、
どんなエロい拷問器具にかけたって、俺は何も喋りゃ
しないぜ。組織だってもう、俺みたいな過去の人間に
構いやしねぇはずだ。もしなんかしか取引をしてぇと
思ってんなら、はやめに済ましちまおうぜ。店に帰っ
て、バカどもがとっちらかしたヤバイものを片付けな
きゃなんねぇからな。
それはそれで興味深い話ですが、と運転手は言った。
私も自分の仕事をできるかぎりはやくこなしてしまい
たいのです。あなたと交渉したほうが、仕事がはやく
終わりますか? そんなことはないでしょう。私の仕
事に関していえば、ですが。
私はあなたをある場所まで送り届けるよう頼まれまし
た。ご察しの通りエレクトロ領の内部ですが、相手は
ノイズです。シティとエレクトロとの対立とは何の関
係もない場所ですよ。実はそれだけでなく、私はもう
ひとつの頼まれごとをしてましてね。ああ、そちらは
あなたと何の関係もない、個人的な頼まれごとなので
すが、私が急いでるのは、その頼まれごとを果たすた
めに、海を越えなきゃいけないからなんですよ。靴を
届けにね。
靴ってったって特殊なもんではありません。ただの靴
です。ですがね、私の友人は海外で一人暮らしをして
おりまして、知り合いがまわりにただ一人もいないの
です。元来物を多く持たない性格だったため、彼は靴
を一足しか持っていませんでした。その靴をね、落と
してしまったというんですよ。ベランダから、運悪く
止まっていた、トラックの荷台の上にです。想像して
みてください。あなただったらどうしますか? 家の
中に靴はない。外に出なけりゃ靴は手に入らない。裸
足で歩いていきゃあいいって、まあそう言うかもしれ
ませんが、実際そういう状況に陥ったとき、裸足で外
に出ることはできますか? 私はあなたのことをよく
知らない。今日出会っただけの、まあ運の悪い人だ
なぁとは思いますがね、とにかくあなたなら、まあ裸
足で外に出るかもしれないが、それが出来ない人間が
いるってことは、それも相当な数いるってことは、想
像できるでしょう?
考えてみれば、象徴的な話ですな。シティのあんたは
靴を持ってる人なわけだ。エレクトロもまた靴を持っ
てる。ノイズの私は、いつの間にか靴を失ってた。だ
から我々は助けあうわけです。でも助けあったって、
靴が増えるわけじゃない。できるのは、素足で歩くの
が正しいんだって言い張ることだけだ。わかりま
す? だからこそ、
おっと、ここだ。このビルの地下三階に行ってくれ。
はやく降りろよ。散々話したろ、私は忙しいんだ。

車を降りると銃声がした。振り返ると、運転手が頭を
撃ち抜かれて死んでいた。
どうやら俺を呼んだのは、理屈の通じる相手じゃない
らしい。あるいは、世間一般とは相入れない独自の理
屈を貫き通しているか、どっちかだ。
こういう状況で逃げ出して、頭を撃ち抜かれて死ぬや
つを、何度も見てきた。だから俺は、地下へ向かうこ
とを決めた。自分の身を守るためだ。
ビルに入ると、そこは真っ暗だった。目の前にエレ
ベーターがあって、ドアの隙間からかろうじて光が漏
れていた。近づくと錆の臭いがした。すぐにでも落っ
こちまいそうな、古いエレベーターだ。カニの絵が描
いてあるステッカーが貼られていた。手を挟まないよ
うにね! なんでカニなんだよ。挟む気まんまんじゃ
ねぇか。
ボタンを押すと扉が軋みながら開いた。中に入って閉
まるボタンを連打すると、扉はもったいぶって閉まっ
た。静寂が訪れた。箱の中にボタンの類いが一切ない
ことに気づいたのは、そのあとのことだった。回数表
示パネルもない。監視カメラだけが不気味にこっちを
見つめている。もちろん、エレベーターは動きやし
ねぇ。一気に疲れが襲ってきて、俺はへたりこんだ。
ナメてるにも程がある。
しばらくすると、ケータイにメールが届いた。おおか
たポマードだろうと思って確認すると、それは見知ら
ぬアドレスからのメッセージだった。
「最速で外にでる方法を述べよ」
知らねぇよ。


その瞬間から一秒間の間で、この都市の住人のうち
1999人が死亡した。同時に全てのアンドロイドが、そ
の活動を停止した。
年号が切り替わり、ひとつの新しい国が生まれ、セブ
ンイレブン以外のコンビニが全てセブンイレブン
なった。まあほとんど後づけなわけだが、とにかくい
ろいろと一気に変わった。つまりこのエレベーターは
転移装置のように、俺を全く違う世界へと運んでくれ
たということだ。
狂信者たちは配布されたカレンダーに最後のペケをつ
けた。奴らに言わせりゃ、それは預言されていたこと
らしい。俺をエレベーターから出した女もまた狂信者
のひとりで、教祖と呼ばれている男を信頼しきってい
た。話ぶりから推察するに、その信頼は愛と非常に近
い感情だったのだと思う。間違いなく、何度か寝てい
た。宗教なんてのはそんなもんだ。
腕を掴まれながら、階段を降りた。他の寵愛されてる
やつらに嫉妬心は抱かないのかと訊いたが、無視され
た。これからあなたが会ってもらうのは、教祖の寵愛
を最も深く受けている方です、と女は事務的な口調で
伝えてきた。階段は薄暗く、とても寒かった。目の前
の肉を抱きしめてやりたい衝動に駆られたが、そんな
ことをしても寿命が縮むだけだったろう。
で、半ば想像していたことではあるが、たどり着いた
部屋で俺を待っていたのは、嫁だった。

だが嫁の口から出た言葉は、想像を絶するほどキチガ
イじみた言葉だった。
この世界には、神が作りし7つの宝玉が眠っていま
す。それを集めれば神龍が目覚め、願いをひとつだけ
叶えてくれるでしょう。あなたは2000人目の生贄でし
たが、幸運なことに死を免れました。ですがその身に
爆弾が埋め込まれているという現実にかわりはありま
せん。助かりたくば、オレンジ色に輝く7つの宝玉、
ドラゴンボールを集めなさい。シェンロンに、生き続
けることを願いなさい。ひとつめのドラゴンボール
は、あなたの師が隠し持っているでしょう。さあ、行
くのです。
そこまで言うと、嫁は奥の部屋に引っ込んで、代わり
にナッパみたいな奴が三人出てきて俺を掴み、ビルの
外へと引きずり出した。
俺は放心状態になって、しばらくビルの外でぼんやり
していた。目の前には血まみれのタクシーがあって、
ここに来るまでの出来事が夢ではなかったことを物
語っていた。
引きずられている間、横で俺のことを見ていた女が、
問題の答えを教えてくれた。エレベーターから最速で
外に出る方法は、そこが外だと宣言することだとい
う。意味がわからない。世界中がよってたかって、俺
を愚弄しているようにしか思えない。
とりあえず俺は、爺ちゃんのところへ行くことにし
た。外も内もねぇよ、と思いながら。境目がもしある
とすれば、それは俺と世界との間にある。俺が内で、
それ以外は全部外だ。


で、爺ちゃんは死んでた。


2035年の夏、Googleの手によって全てが変わってからと
いうもの、俺は何をしていいのか全くわからなくなっ
ていた。奴らが固定観念という固定観念をぶっ壊しち
まったせいで、雇い主である政府はコロコロと違う信
念に基づく声明を発表し、俺は何も信じられなくなっ
ちまった。ふざけた話だ。
俺がカフェを始めるずっと前、Googleがエレクトロ、政
府がシティと呼ばれるようになった直後、携帯にか
かってきた非通知からの電話をとったことがある。な
んで取ったのかとか、そういう細かいことは全く覚え
ちゃいないが、あれは確か、深夜の2時をまわった頃
のことだったと思う。
お腹がすいたの、と女は言った。何か食べたいの。ね
え、5でどう?
顔も年齢もわかんねぇ女に5万は高すぎると思った。
素直にそう伝えると、3でいいと言う。
暇なので、車を出して顔を見に行くことにした。顔を
見て無理だったらそう伝えると、はっきり言った。す
ると女は、自分はあまり可愛くないから無理かもしれ
ない、そう言って気持ち悪く笑った。年は40だとい
う。待ち合わせに指定されたのは、場末のストリップ
バーが立ち並ぶ、とある駅前広場だった。
なんも期待しちゃいなかった。ただ、見ず知らずの男
の携帯にいきなり電話をかけてくる40の女を、見てみ
たかった。動物園の猿山の猿の赤いケツを見るのと、
対して変わらない種類の好奇心だったのだと思う。
2035以降はしばらく不況が続いていたが、そんときは
一番ひどい時期だったと思う。ボーナスは出ず、給料
は軒並み下がり、飲み屋は閑散とし、ローンを払えな
くなった奴らが売った中古マンションが溢れかえって
いた。シティは万全な経済対策を行っていると豪語
し、エレクトロは輝ける未来へと繋げる架け橋を築い
ているのだ、そのための一時の苦しみに過ぎないのだ
と、宗教じみたことをのたまわっていた。だがみんな
分かっていたのだ。以前のような平和は絶対に戻って
こない。この不況は永遠に続く。なぜなら、人間の仕
事のほとんどをアンドロイドが持っていっちまい、そ
こに生まれた利権を一部の人間が握っていたからだ。
10万円のバッグと、480円の紙袋が共存する時代。10万
円のソープと、2000円のピンサロが共存する時代。携
帯電話に高い通信費を払いながら、明日の飯が食えな
い奴もいる。あとで分かったことだが、女の提示した
3ってのは3000円のことだったらしい。
そいつは確かにモンスターだった。年齢は60代か、下
手すりゃ70くらいに見えた。セックスどころか、並ん
で歩くのも辛い。そのことを正直に伝え、そんでもわ
ざわざ出てきてもらって、何も渡さないってのもひ
でぇ話だと思い、財布の中を覗いたら一万円札しかな
い。仕方ねぇからそれを渡すと、なぜか女の顔を直視
できず、逃げるように車に乗り込んだ。
ハイウェイを走らせながら、女の声が耳にこびりつい
て離れなかった。唇には赤すぎる紅が引かれ、髪の毛
はキレイに整えられていた。俺と会うために。
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめん
なさいと、車を運転しながら、俺は謝り続けていた。
女に同情はしない。自業自得だと思うからだ。じゃあ
誰に向かって謝っていたんだろう。分からねぇ。分か
らねぇが、謝り続けた。謝らずにはいられなかった。
電灯が二列、延々とハイウェイを照らし、その間には
闇。何処かにあるチャチな巨大スピーカーが、山火事
の発生を預言している。俺が逃げ出す直前に、女は
言ったのだった。ねえ、ちょっとお茶しない?
人間を支配しているのは、金でもなく、肉欲でもな
く、もっと単純で根源的な感情だ。女たちが自分の体
を売るのも、男たちが不特定多数の胸を揉みまくるの
も、異常性愛者が幼子同士を性交させて眺めるのもそ
う。出世欲を剝き出しにして会議で発言をするのも、
人の不始末を拭うべく徹夜でデータを修正するのも、
あるいは人の功績を称えるのもそう。奪うのもそう。
信じた理想向かって邁進するのもそう。ただ、さみし
いからなのだ。
待ち合わせをした駅の界隈にあるストリップバーの中
には、10歳にも満たない少年少女の働く店があるとい
う。真面目に踊らねば、ムチで叩かれる。逃げだそう
にも、普段は牢獄に閉じ込められている。客の前に出
るのは、常にひとりずつ。鉄格子が開き、ひとりが入
り、ひとりが出ると、鍵を閉められてしまう。管理し
やすいように編み出されたシステムだ。
踊り手に目をつけた客は、店に金を払う。そうするこ
とで客は、奥に用意された個室に踊り手を連れ込むこ
とができ、フェラチオをさせ、マンコかケツにペニス
を突っ込む。あるいは臭いマンコに幼いペニスを突っ
込ませる。店は裏組織によって管理され、その裏組織
はもうひとつ裏の組織によって管理され、その組織は
政府と繋がっているため、逮捕されることはない。
よって店は、手入れによって潰れたところで、何度も
復活する。そういうシステムが構築されている。
度重なる客の中出しによって、治らない性病にかかっ
た少年少女は、ひとりずつ、黒いゴミ袋に入れられ捨
てられる。もはや立ち上がることも不可能なほど疲弊
した子供たちは、袋の中で一時の眠りにつく。違法に
拡充されている埋立て地の一部となるべく、ほとんど
のゴミ袋は異臭の砂漠に放置される。
月明かりの照らす中、ゴミ袋は静かに蠢きだす。そし
てさなぎのように、はじめて自由という水を得た魚の
ように、この世界に生まれくるその姿は、とても美し
いだろう。少し汗ばんだ体が、冷たい明かりの中で浮
かび上がり、大気の澄んだ部分だけを吸い取り、そし
て死への、始めの一歩を歩み出す。
幼き命たちが、やがて一所に集まり、小さなコミュー
ンを築いていてくれるといい。無駄な争いや疑念など
全く意味を成さないような、美しき社会を築いていて
くれるといい。優しく照らす月の下で、かよわい肌を
寄せ合って、安らかな眠りについていてくれるとい
い。
残念なことに、これは願望にすぎない。実際に子供た
ちが寄り添うことなどはなく、捨てられた場所から一
歩も動けずに、その場で、徐々に腐り、蝿がたかり、
命の灯火を消す。やがてその上から、更なるゴミが被
せられ、一方クーラーの効いたビルの最上階では、埋
立て地の上に建てられるビルのテナントについて、
日々協議が行われている。一週間前に決まったこと
が、もう一度覆され、その間に想像もつかないような
金額の金が消え去ってゆく。
未来にて、俺たちはテナントの小戯れた喫茶店で、
チョコレートパフェを喰らうのだ。幾千もの命の上
で、幸せの笑みをこぼしながら。


脳みそをぶっぱなされた爺ちゃんの、右のポケットの
中には、確かにドラゴンボールが入ってた。でもそれ
は、どう見ても、オレンジ色のスーパーボールの中
に、ちゃちな段ボール紙を挟んだだけのものだった。
星は4つ。バカにしてやがる。
それから三年かけて、俺はドラゴンボールを集める。
そしてワシがシェンロンじゃ、と言って現れたどっか
の浮浪者を撃ち殺す。
世界はすでに終わり、俺の知らないところで続いてい
く。物語が俺のものだと、信じつづけていた俺がバカ
だった。
ここでかつて出会い、別れた女のひとりでもやってく
れば希望もあるが、知ってるだろ? 大抵の場合、そん
なことは起こらない。
起こるはずがない。

              • -

sshimoda