スケッチ・電車の中で見た光景

私はひどく酔っていたけれど
冷静な自分を見失っていたわけじゃない。
目の前にいる男は、かっこ悪くもないけれど、かっこいいってわけでもない。
でも私だって絶世の美女ではないので、そのあたりはおあいこだと思う。


彼はたぶん私に好意を寄せていて
かといって明日の朝も同じ好意を抱いているかはわからない。
つまり率直に言ってしまうなら、彼は私と寝たいと思っている。
性欲と愛が中途半端な分量ずつで
私の全身に注がれている。


いつから?


私も彼も大学の4年生で
そろそろ就職先を決めてしまいたいところだった。
でも学校の構内で久しぶりに出会った彼は、リクルートスーツを着てなくて
その日は私も、たまたま私服だった。


飲みに行こうかと誘われたとき
寝る可能性について、全く考えなかったと言うと嘘になるけれど
それは普段から無数に渦巻いている可能性のひとつに過ぎなくて
つまり、全然具体的じゃなかった。
じゃあ何が具体的だったかというと、就活のことで
それについては、たぶん彼も同じだったと思う。


お互いに私服だったから
お互いに、就職が決まったのかと思っていた。
真実を知ると、とたんにその場が居心地よくなった。
同時に、明日を憂欝に思った。
明日を持ちながら過ごす夜が、憂欝に思われた。


私は山手線の中で
男と一緒に立って話をしながら
先について考えるのを放棄していた。
先っていうのは、先にある全部。
夜のこと、明日のこと、それから先のこと。
そういうのを分けて考えることすらせず
考えることそのものをやめてしまった。


代わりに考えていたのは、今、ここのことだ。
吊り革に捕まる男と、私の
適切な(物理的な)距離について。
それから、私の表情について。
否定と全肯定の間を、うまく潜り抜けている?


私は高田馬場で降りる。
彼は池袋まで乗っていく。
そのことは、電車に乗る前に、確認していた。
高田馬場が近づいてきて、しかも私はそのことに、とても平然としてなきゃいけなくて
だから自分をごまかすために、バッグを開けてペットボトルの水を取り出した。
やがてドアが開き、私が電車から出ようと振り返ると
男が、私のバッグを強く引いた。


その可能性には気づいていた。
だから私が驚いたのは(驚いたのだ)引っ張られたことじゃなく
その瞬間に、男の背後に向かって視界が開けたことだった。
未来といいますか、ビジョンといいますか、そんな感じの視界が。


そしてたちまち私の後ろにも、過去? 物語? そういうものが広がって
今、ここを繋ぎ目に
それらが一本の線になってしまった!


まず私がしたことは
バッグを閉じることだった。
男は私を見つめている。
ドラマみたいだった。もちろん悪い意味で。
ドアは長々と開いている。早く閉じてよ。


男に軽く触れてみる。
にへらにへらと笑っている。




私はいつも、解釈してばかりいます。
今までのこと、今のこと、これからのこと。
そして周りの人間が何も考えていないって事実に、うんざりしてばかりいます。
でも私は、今まで何かを決めたのかな。
目の前のだらしない男みたいに、何かを決めたことってあるのかな。


未来は突然「生まれる」
そして過去と「繋がる」


私はそれに「甘えている」
たぶん、決めなきゃずっとこのままだ。