ラヴァーズ・オンリー

私たちの街がロストと呼ばれるようになってから
三年の月日が流れた。


たとえば夜になると現れる、逆オーロラのこと
それから、捕われた人間を深い場所へと葬りさる、時間域のこと
メディアが伝える情報は、私たちの脳内に
ここではない、別の世界を構築する。
そこに、私はいない。


私にとってロストとは
信号待ちをする車であり
談笑する人々であり
そして、青い空だ。
そこに滅びの雰囲気は微塵もない。
でも、ロストという言葉を「喪失」という意味で解釈するなら
私にも、失ったものはある。


記憶の貯蔵庫のことを知ったのは、つい最近の話だ。


ある日の夜、ひどく酔った状態で街をさまよっていると
左手の指が二本しかない男に声をかけられた。
誰のものか分からない記憶でよければ
破格の値段で売るという。


たぶんそれは、私のように
モリーシャッフルに見舞われた人間を対象とした
新しいビジネスだったのだろう。
記憶を失った人間が、記憶そのものより
アイデンティティの喪失に絶望を感じるということを
私は経験上、知っている。
新たに得られる記憶がどのようなものであろうと
人格を再構築する、より所にはなるだろう
そう考えた多くの人間が、得体の知れない記憶に手を伸ばすわけだ。


いくつか質問をした。
すると男は、私が記憶を求めているものと勘違いしたらしく
貯蔵庫について、詳しい説明をしてくれた。
記憶はデータではなく思念なので
コピー、複製ができないこと。
また、人に移すより前に中身の確認はできないこと。
そして、上書き以外の方法で記憶を移すことはできないため
その人が持っていた以前の記憶は、消えてしまうこと。
顧客になりそうだと判断したのだろうか。
細かなオプションの多い複雑な料金プランを提示しながら
彼は、そこに案内してくれた。


貯蔵庫は、とあるビルの地下にある小さな部屋で
電源の切られた裸体のアンドロイドが、ズラリと並んでいた。
関節などのパーツは動かなくとも、生体部分は死んでいないらしく
眼球が、頬の肉が、皆わずかに動いていた。


あの光景を見てからずっと、誰かに追われているような気がする。
私の記憶は、あのような形で保存されているのかもしれないし
記憶の持ち主にしてみれば、私の体は取り戻すべき対象だろう。
どうやって稼いだかも分からぬ金で、悠々と暮らす私は
たとえ背後から刺し殺されたとしても
文句を言えるような立場ではない。


私は、記憶を奪われたのではなく
私が、記憶を奪ったのかもしれない。
だとすると果たして、「私」とは誰なのか。


私は他から記憶を得ることなく、自我を確立した。
社会的な生活を送っていると、胸を張って言えるほどの自信はないが
何人か、友人もできた。


他愛もない会話
過ぎていく時間の中で
確かに感じる違和感。
世界に満ちた不条理。


それは、私の抱えた不条理でもあり
人間というものが抱えた不条理でもあり
意志というものが
根源的に抱えている
しかし今まで気づかれることのなかった不条理なのだと
そんな、気がしている。


つまり、こういうことだ。


「私」は、いない。
しかし、「私」は思考する。