MOTHER3をまじめに考える

MOTHER3というゲームが開発中止になったのは
もう遠い昔の話です。
GBAで開発が再開されて、それが来年の4月に出るというのは
このゲームが好きな人なら誰でも知っている情報だと思いますが
僕は以前作られていたMOTHER3と、いま作られているMOTHER3というのは
根本的に違うものだと思っていますし
その上で、以前のMOTHER3の開発中止を悔やみ続けています。


僕がそう考えているのは
以前このインタビューを読んだとき
今まで発売されたどのゲームの情報を読んだときより
興奮したからです。


言い訳がましいことがごたごた書いてあったり
ユーザーにとっては一番どうでもいい問題である
『作る』という段階のどこで間違ってしまったのかってことを
延々と語っていたりする、つまらない座談会です。
なにより、糸井重里さんがプロジェクトを一番分かっていないのが見てとれて
このインタビューは恥さらしなんじゃないかと思ってしまいます。


ただ、僕が興奮したのはこのへんのくだりで
なんとなくその全貌を想像してみたところ
マップジャンプごとに驚きがあるとか
おいそれと買い物できないとか、選択肢選べないとか
宿屋(ホテル)で一泊できないとか
逆に言うと、そのたびに驚きがあったり
たとえば、敵のおじさんと戦って『我に返し』たら
隣のおばさんが、だんなが戻ってきたと喜ぶとか
世界のどこを突っついても何かが出てきたりするような
おもちゃ箱のようなものが、ぼんやりと浮かんできたんです。
その感覚に、なんともいえず、ワクワクしたんです。


今日、この記事を読み直して思いました。
自分にも、このゲームが作れるぞ、と。
だから、この休み中、自分への宿題として
MOTHER3の企画書を書いてみることにしました。


もう少し細かい話を。


MOTHERというゲームは、それを愛している人が多いこともあって
新しいゲームだったと称されているようですが
糸井重里さんも、舞台を現代にしたことに価値を見出しているようですが)
決してそんなことはないと思います。


そもそもMOTHERというゲームは、あの雰囲気ゆえに愛されているのであって
それはテキストへのこだわりであったり、最高のバットへのこだわりであったり
細かなものの集合体に他ならないと思うんです。
それがドラクエのようなファンタジーの世界ではできなかったかというと
そんなことはないと思うんです。
つまり、極端な話をすると
ドラゴンクエストのテキストデータと
画像のデータをまるまる引っ張り出してきて
ごっそり書き換えるだけでMOTHERというゲームは生まれた、と
そう言えると思うんです。


たとえば、現実ではホテルに泊まるにはお金がかかる。
だから、ゲーム中でもホテルに泊まる値段は高く設定されている。
でも、そうするとRPGのお約束であるステータス回復の手段が遠くなる。
そこでMOTHERはマジックバタフライをいう妖精さんに触れると
マジックポイントが回復するというシステムを入れるわけです。
現代アメリカに近い世界に対して、妖精さんを出してします。
別にこの解決手段がひどいとは思いませんが
歪んでいるとは思うんです。
ゲーム作りとして、本末転倒だと思うんです。


逆の話をします。『さつたば』というアイテムがありました。
このアイテムを、主人公たちはお金として使うことができませんでした。
ある人が、誰かに届けなさいって渡すフラグアイテムなんですけど
ある人が信用して主人公たちに『さつたば』を渡したということは
それを裏切って『さつたば』をお金として使い込むという選択も
可能でよかったんじゃないでしょうか。
札束が手に入る町と次の町では物価を大きく変えるなどして
札束を使い込んでもゲームバランスが大きく変わらないよう調整し
預かったものを無断で使ってしまう後ろめたさを
ユーザーに架空の世界で感じさせてあげることもできたんじゃないかと思うんです。


たとえばポケットモンスターというゲームに出てくる
ポケモンセンターに対しても
僕は疑問を感じ続けています。
ポケモンを持っていくと、無償でステータスを回復してくれる施設なのですが
この施設は、いったいどこから収益を得ているのでしょう。
たとえそこに理由があったとしても、ああいう施設が町に一個あることは
とても不自然じゃないでしょうか。
売れているゲームだからなおさらです。
現代を舞台にしているゲームだからなおさらです。


言葉やら演出やら表現は、システムに食い込まない限り
ゲームというメディアと完全に中和することはない。
僕はそう思います。
MOTHERはそれができきっていないゲームだった。


そんなMOTHERというゲームがMOTHER3
システムに大きく食い込む表現を模索して失敗した、というのが
僕の見る開発中止の理由です。
例えば、細かな例ですが
製作スタッフの方はこういうことを考えたのでしょうか?


世界をリアルタイムに更新するために…
 1.一人が話す文章を、ある程度システマチックに情報ごと分けて書き
  不自然のないように結合させてユーザーに見せる
 2.ある程度自動化された行動パターンをつくり
  話しかけたときの状況から、セリフをキャラクターが探す。
 3.時間の流れに関する部分をある程度割り切ることで
  すべての瞬間で驚きを与えることをあきらめ、
  それらをマップジャンプの瞬間などに集約する。
 4.マップをいっそ図形として割り切ることで
  絵を犠牲にしてドラスティックに変更し続ける。
 5.気持ち悪さ、不快感、スケールの大きさ等
  絵に頼る部分に関しては、単純に映像化(=映画化)する。


僕は製作者じゃありませんので
もちろん的外れな意見もあることと思います。
それはそれとして、僕自身はこういった点をポイントとした上で
この企画を勝手に練り直すというゲームをしてみたいと思います。


まったく関係のないことですが
GBAMOTHER3も個人的にはとても楽しみにしていて
僕がMOTHERとして見たかったのはむしろ
ああいうゲームなんだと思います。
だからこそ、そうだからこそ、僕の心の中には
『なんでもない、ただワクワクする、ゲームの残骸』が残っていて
とても気持ち悪さを感じているんです。