モーションキャプチャーを考える

モーションキャプチャーという文化が
アニメーションにあった良い文化である
『虚構』を消していっている、という話をよく見る。


自然ではないパース
動きの中間を排除した動き
アクションシーンになると広がる空間、等
失われたモノはたくさんある。
それは事実だろう。
だけど、手書き、手付けには決してない武器が
モーションキャプチャーには、ある。


ライブ感である。


役者の自然な動き
たとえば、木の下で戯れる
海辺でまどろむ
そういった『画面上、重要でない動き』を生かすことができるのは
モーションキャプチャーならではの強みだ。
画面上で動く全てのモノが、意志を持って
最大限の演技をする…。
それは、手書き、手付けでは決してできないことだ。
コスト面でも、ひとりの想像力の限界という点から見ても。


人が動くと、そこにはライブ感が生まれる。
もちろん、それら全ての動きを
丁寧に、アニメーションのような無駄のない動きに
修正することができれば、それに越したことはないのだが
そこに映る風景を、画面上の全ての人が共有している
なんていう夢のような絵は
宮崎アニメでも見たことがない。


だが、それが今や可能なのだ。
まるでそこに一本の木があるかのように
人間が演技をしている。
それはかなり遠目で映っているのかもしれない。
画面の1/128ほどの大きさでしかないかもしれない。
しかし、その動きが生みだすライブ感には
あなどれない威力がある。


テクノロジーと職人芸が
共に歩んでいく道は、どこにあるのかと
考える。
考えているけれど
どの会社が、そんな素敵なことを実践してくれるのか
全然分からないし、俺にゃどうしようもないね。


なんとかしてください、偉い人。