麻原、または人間の人格の二重性について。

sshimoda2005-03-18

数年前からずっと注目しているオウム真理教だが
メディアの報道を見ていると
一方的な解釈が気になってならない。


麻原が起こした事件の罪は計り知れない。
それは、現在のアレフ信者ですら認めていることであり
今更問う必要もないくらい自明のことだ。
しかし、メディアが麻原のことを語るとき
彼の正しい一面を忘れているように思える。


過去、宗教者としての彼は正しかったと思う。
これは僕の個人的な意見であり
人に押しつけるつもりもないが
彼の説く説法は、具体性に満ちていて
人を納得させる力を持った、素晴らしいものだった。
僕自身、宗教に対して惹かれる気持ちはないが
ああいう宗教が世にあるということを
社会にとってマイナスだとは思わない。


ただし、彼は途中で狂いだした。
ドラッグを利用するようになってからなのか
それとも、彼が追い込まれてからなのか
その具体的な、道は、分からないが
彼は確実に、ある時からおかしくなっていた。


現在の信者に、彼が正しかった頃の否定を促しても
無理な話だろう。
なぜなら、それは正しいからだ。
麻原の存在について
深く深く考えてきたであろう信者たちに対して
白を黒であると言え、などという言葉は届かない。


では、メディアは何を促してゆけばいいのか。
言葉を届けられる立場にいる人間たちが
どんな言葉を届けたらいいのか。


ぼくは思う。
笑い飛ばせばいい。


おかしくなってきた頃の、麻原の言葉を調べると
非常に面白い。
調べれば調べるほど
腹を抱えて笑いたくなるほど面白い。


終戦争から身を守るために
水中都市を建設する。
終戦争は預言されたものだ。


修行をくり返すことで
身体から発されるプラズマは
核の脅威をも跳ね返すだろう。


こんなのは、ギャグではないか。
腹を抱えて笑えばいいのだ。
気が狂ったヤツのことを、腹を抱えて
笑ってしまえばいいのだ。


僕は、それを社会に
心から求めている。
悲劇を引き起こした、その原動力が
いかに稚拙なものであったか…
それを、みなで笑い飛ばして欲しい。


そして、希望としては
それによって
麻原という存在を完全否定するような
短絡的な思考を捨てて欲しい。
これを読んでいる君には
オウム信者のような、たくさんの人を
引きつけるような話ができるか?
たくさんの人に、生活を捨てさせ
自分の考えをここまで強く
説くことができるのか?
そう考えたら、麻原という人間は
ある一部の意味で
素晴らしい人格とテクニックを持っていたのではないか?


人間には、たくさんの側面がある。
僕にも、間違っている部分はあるし
正しい部分もある。
尊敬する上司にも、ある。
最愛の人にも、ある。


大切なのは、人間の中の、たくさんの人格を
見極めることなのではないか。


もちろん、それを見極めることのできる人も
たくさんいる。
だが、その力を
メディアが情報をかき乱すことで使わせない。
それは、それで
恐るべき罪ではないのか。