希望のある風景

お客さんが階段から降りてくる。
私は、その人の手をとる。
軽く握ってくるようなら、軽く握り返すし
強く掴んできたら、強く掴み返す。
おんなじ力で、おんなじように。


お客さんの体を洗いそれから、ベッドに座る。
あとは少しずつ密着してあげさえすれば
やがてはじまり、そして終わる。
はじまりさえすれば、全ては終わるのだ。


勤めていた会社の経営が危うくなり
事務仕事をのんびりやっていた私は、解雇された。
とりあえずお金を稼がなきゃ、と思ったので
ここに電話して、面接して、採用された。


そのことをここで働いてる先輩に話すと、たいてい驚かれる。
勇気があるね、とか、そんな決断力のある人には見えない、とか
彼女たちは口々に、私を評価する。


でも私自身は、大きな決断をしたとは少しも思っていなくて
午後の昼下がり、仕事をしなきゃと思いながらネットを見ていたら
たまたま目に入ったのがここのページだったというだけだ。
もちろん、そんな面倒くさいことを先輩たちに説明したりはしない。
決断力ないように見えますか? と笑って答える。
笑顔でいること、それは
どんな状況でもくぐり抜けられる、素敵な方法だ。


お客さんに対しても同じ。
接客が終わったあと、頬の筋肉がじわりと痛むのを感じると
私は体を売っているのではなく、笑顔を売っているんじゃないかと思う。
自分の笑顔に価値があるとは思わないけれど
笑顔をなくした私の体には、もっと価値がないと思う。


ときどき、本気で気持ちいい。
でも、その気持ちよさを押し殺して、別の気持ちよさを演じる。
体と心が分離していく感じ。
頬の筋肉が、ますます痛む。




ある日、お客さんに訊かれた。
自分の話をしないんだね。


私にとっては、ほかの人が接客をしながら
自分の話をしてるんだ、ってことの方が驚きだった。


その人の言うには、自分に興味を持ってもらうことで
次に指名してもらえるようにしたり
親密さを演出したり、普通は、するものらしい。
たぶん全部作り話なんだろうけどね。
お客さんは言うが、私は不思議だった。
男の人はこの店に、いったい何を買いにきてるんだろう。


作っちゃおうか、いまここで。お客さんが言う。
作るって、何を?
普段の生活とか、ここで働いてる事情とか。他の客に聞かせる話。


すでに一回目が終わっていて
私たちはベッドに寝転んでいた。
このまま二回目がはじまるより、ずっと楽かなぁと思った私は
その雑談に乗った。


夢のためにお金を貯めてるとか、そういう話の方が評判がいいよ?
どうして?
私利私欲のために体を売ってるってのは、やっぱり微妙なんじゃない?
でも、どっちにしても体を売ってるのは同じですよね。
男って単純だからさ、理由があれば大抵のことは納得するんだよ。


じゃあ理由なんかなくここで働いてる私って
男の人たちの目にどう映るんだろう、と疑問を抱く。


専門学校に通うため、ってのはどう?
いまさら勉強なんてちょっと無理ないですか(だってもう30
ですよ)
じゃあ、自分の店を出すためってのは?
何のお店ですか(私に出せるお店って何)
お菓子屋さんとか?
ああ、可愛くていいですね(お菓子のために体を売る自分)
たとえば、今は友人の店で働いていて
だけどいつかは自分のお店を出したくて
このままダラダラと過ごしていてもアレなので(アレ?)
お金を稼ぐことにした、ってのは?


でも、私ってそんな人に見えます?
夢のためにお金を稼いでる、なんて言っても
信じてもらえなさそう。


なんとなくの夢、くらいな軽い感じでいいんだよ。
ぼんやりとそんな未来を想像してる
あなたにだけ、打ち明けます、くらいな感じで。


そこまで話したところで時間がきて
シャワーを浴び、お客さんは帰っていった。
私は、その使うことのないであろうエピソードについて
ちょっぴり想像してみたけれど
そんな自分をうまく思い描くことができず
そして、次のお客さんがきたと、フロントから連絡があった。


正常位、バック、騎乗位
脆いベッドの上で、危なっかしい立ちバック。



数日後、体中、脂でベトベトしたおじさんに
接客態度がなってないと、怒られた。
彼は私を床に正座させ、自分は裸のまま、大股開きでベッドに座り
こんなところで働いてるようじゃダメだ
きちんとした企業に勤めて、年金を払ってうんぬんと
接客態度を飛び越え、よく知りもしないわたしの人生に対して
激しく叱咤してきた。
(そもそもこんな店に来ているあなたはどうなの?)


そのとき思い出したのが、例のお菓子屋さんの話だった。
私は、ゆっくりと、そして特別に打ち明けるんだっていう雰囲気で
その夢のような話を、おじさんに聞かせてあげた。
全て聞き終わるとおじさんは、どうやら納得したらしく
残り15分だというのに、私をベッドに押し倒してきた。


それからというもの、ほとんど危機回避のために
お客さんに、お菓子屋さんの話を聞かせた。
信じる人もいたし、もちろん信じない人もいた。
だけど、たとえ疑われてると薄々感じたとしても
私は話すのをやめなかった。
それが真実ですと、胸を張ろうと思った。


自分でさえ信じられないほど、うさんくさい話なのだ。
せめて胸を張らなければ、物語はすぐに手元を離れていってしまう。




いやなお客さんばかりではない。
接客していて、とても心地いいお客さんだっている。
たとえば、こんな仕事をしてなければ
絶対に抱き合うことはなかっただろうなっていうカッコいい人もいて
そんななかのひとりが、バレンタインデーに
ちょっとしたプレゼントを持ってきてくれた。
そして言った。
お菓子、クッキーとかでいいからさ
ホワイトデーにお返しをくれたらうれしいな。
食べてみたい。


その場では、いいよ、楽しみにしておいてと言って
当日になったら、しれっと忘れたフリをすればいいやと思っていたのだけ

ある日、やることがなくなって家で雑誌をめくっていたとき
クッキーくらいなら作ってみようかと、ふと思いたった。
ホワイトデーに手作りのお菓子を渡す女の子は、結構いるのだ。


でも、焼いてみたら、粉っぽいものが出来上がってしまった。
お菓子作りが得意な人の焼いたクッキーなのだから
こんなんじゃダメだ。私には無理かもしれない。
そう思ってその日は一度あきらめたのだけど
また暇な日がやってくると、ちょっと焼いてみようかという気分になり
そんなに上手じゃないけれど、確実に前の反省が活かされたももができあ
がり
その繰り返しが、ちょっと楽しくなってくる。


お客さんにも、ホワイトデーにはクッキーを焼いてくるから
ぜひ遊びにきてね、と宣伝するようになり
練習を重ね、なかなか上手に焼けたクッキーは
感想を聞くのが待ちきれなくて
ホワイトデーの3日も前から配り始めた。
みんな優しくて、おいしいと言ってくれた。
気持ちいいと言われるより、かわいいと言われるより
ずっとずっと、うれしかった。


自分でもバカみたいな話だと思うけれど
それから、私の趣味はお菓子作りになった。
もちろん、お店を出そうと考えたりはしないけど
その嘘の夢について話すとき、歯が浮くような感じはなくなった。
お菓子を作るときのコツなんかも、つけ加えるようになった。




ある日のこと。
スーツを着た、ニヤニヤ笑うお客さんがやってきた。
どさくさに紛れて、スキンをつけず
生で入れようとしてきたので、丁重にお断りした。


終わったあと、私がいつものように、用意された夢の話を語ると
彼は言った。覚えてない?
それ、俺と一緒に作った、作り話だろ?


帰り際、彼はしみじみと言った。
なんか、変わったね、と。


私のこと?
うん。なんか、変わったよ。


彼から見て、いい方向に変わったのか
それとも悪い方向に変わったのかを
訊くことはできなかった。




常に不安を抱いてるわけじゃないけれど
夜になると、やっぱり考えてしまう、未来のこと。
前に進んでる感覚はある。
でも、いったいどこに向かっているのか
目的地が、わからない。

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sshimoda