芸術になってはならない


芸術っていうものの定義をきちんとした上での話ではないけれど
なんとなく「芸術」を作ってはならないという意識がある。


もっと砕いた言葉で言うなら
「感心」するようなものを作ってはならないとか
「難解」であってはならないとか
そういうことを言いたいのだけれど


なぜ「芸術」はダメなのか、ということについては
あまり熟考したことがなかった。


でも、最近ものを作る姿勢について
考えさせられる出来事があったので
このあたりのことについて、日々悩んでいる。



誰のために作るのか、というのが
この問題を解決に導く、ひとつの視座であるような気がしている。


ものを作る上での「責任」について考えているとき
それは、自分のためのもの作りに近づいている。
ものを作る上で「主張」について考えているときもまた
自分のためのもの作りに近づいている。


それらはあくまで、相手を楽しませるという
最低限の役目を果たしてから考えるべき、というのが
今の、自分の考えだ。



そもそも俺たちは、自分のことを
過大評価し過ぎなのではないだろうか。


作り手としての意識とか、責任とか、作品性とか
そんなことを語るほどの人間ではないんじゃないだろうか。


そういうのは、作品で相手を楽しませることのできたあとに
考えればよいことなのではないのだろうか。



橋にも棒にもかからないようなものを作っているうちは
作り手として胸を張っても悲しいだけだ。
我々は、どんな裏技を使ってもいいから
まず、相手を楽しませることの全力を尽くさなきゃならない。


偉そうなことを語るのは、そのあとでいい。
俺は、最近、そう思っている。